農業に従事する方々にとって、皮膚のトラブルは単なる「かゆみ」以上の深刻な職業病となり得ます。日々、土壌や植物、農薬、そして過酷な気象条件にさらされる肌は、常に接触性皮膚炎のリスクと隣り合わせです。一般的に「かぶれ」と呼ばれるこの症状ですが、実はその原因や対処法は非常に複雑であり、自己判断で放置すると慢性化して仕事に支障をきたすことも少なくありません。
特にステロイド外用薬の使用については、「副作用が怖い」「いつまで塗ればいいのかわからない」といった疑問や不安を持つ方も多いでしょう。しかし、ステロイドは正しく使えば、炎症を強力に抑え、早期治癒へと導く非常に有効な薬です。逆に、怖がって不十分な使い方をしてしまうと、症状を長引かせてしまう原因にもなります 。
参考)湿疹治療のステロイドの塗り薬〜ぶり返しを防ぐ中止のタイミング…
本記事では、農業現場で発生しやすい接触性皮膚炎に焦点を当て、市販薬の選び方から、ステロイドの正しいランクの知識、そして農家特有の「意外な原因」までを深掘りして解説します。日々の農作業を快適に続けるための、実践的なスキンケアと治療の知識を身につけましょう。
接触性皮膚炎の治療において、最も一般的かつ効果的なのがステロイド外用薬(塗り薬)です。しかし、薬局に行くと数多くの種類が並んでおり、どれを選べばよいか迷ってしまうことも多いはずです。ここで重要になるのが、ステロイドの「ランク(強さ)」という概念です。
ステロイド外用薬は、その抗炎症作用の強さに応じて、以下の5つのランクに分類されています 。
参考)ステロイド外用薬 塗り薬
農業従事者が手や足など、皮膚が厚い部分に激しいかゆみや赤みを感じた場合、市販薬の中で選べる最も強いランクである「ストロング(III群)」が推奨されるケースが多くあります 。皮膚が厚い部位は薬の成分が浸透しにくいため、ある程度強いランクでないと効果が十分に発揮されないからです。代表的な成分としては「ベタメタゾン吉草酸エステル」や「フルオシノロンアセトニド」などが挙げられます 。
参考)かぶれ(接触性皮膚炎)に効く市販薬|目の周りや頭皮などに使え…
一方で、顔や首、陰部などの皮膚が薄いデリケートな部分に症状が出た場合は、吸収率が高いため、ランクを落とした「ミディアム(IV群)」や「ウィーク(V群)」を選ぶ必要があります 。成分としては「プレドニゾロン吉草酸エステル酢酸エステル」などが該当します。
参考)http://www.yoshida-cl.com/7-al/steroid.html
接触性皮膚炎におすすめの市販薬12選【皮膚科医選定】 - くすりの窓口
参考:市販薬の具体的な商品名や、ステロイド成分を含まない非ステロイド薬との使い分けについて詳しく解説されています。
また、市販薬を選ぶ際には「剤形(タイプ)」も重要なポイントです。
農作業中は汗をかくことが多いため、クリームタイプを好む方もいますが、皮膚の保護作用を考えると、基本的には「軟膏」を選ぶのが無難です。特に肥料や土による刺激から肌を守る意味でも、油膜を作る軟膏は理にかなっています。
「薬を塗っているのに治らない」という悩みの多くは、実は「塗る量が少なすぎる」ことに起因しています。ステロイド外用薬の効果を最大限に引き出すためには、適切な量を塗ることが不可欠です。そこで覚えておきたいのが「FTU(フィンガーチップユニット)」という単位です。
1FTU(ワン・フィンガーチップユニット)の目安
大人の人差し指の先から第一関節まで、チューブから絞り出した量(約0.5g)が1FTUです。この量で、大人の手のひら2枚分の面積を塗ることができます 。
参考)ステロイド外用剤(塗り薬)を毎日塗り続けても大丈夫?|ステロ…
多くの人は、この基準よりもかなり少なく、薄く伸ばしすぎてしまっています。患部に塗った際、ティッシュペーパーが張り付く程度のベタつきがある状態が適量です。「擦り込む」のではなく、「乗せる」ように優しく広げるのがポイントです。強く擦り込むと、摩擦による刺激でかゆみが増してしまうことがあります。
治療期間の目安と「やめ時」
一般的に、適切なランクのステロイドを使用すれば、軽度の接触性皮膚炎は3〜7日程度で症状が改善します 。しかし、見た目の赤みが引いたからといって、すぐに使用を中止するのは危険です。皮膚の奥ではまだ炎症が残っている可能性があり、この段階でやめるとすぐにぶり返してしまうからです。これを「リバウンド」と呼ぶこともあります。
参考)その赤みやかゆみ、放置しないで! 接触皮膚炎の見分け方と対応…
正しい「やめ時」の目安は以下の通りです 。
症状が良くなってきたら、急にやめるのではなく、塗る回数を1日2回から1回に減らす、あるいは2日に1回にするなど、徐々に減らしていく「漸減療法(ぜんげんりょうほう)」や、症状が出なくなっても週末だけ塗る「プロアクティブ療法」といった考え方を取り入れることが、再発防止には効果的です 。もし、市販薬を5〜6日間使用しても改善が見られない、あるいは悪化した場合は、原因が他にある(真菌感染など)可能性があるため、速やかに皮膚科を受診してください 。
農業従事者の接触性皮膚炎には、大きく分けて「刺激性接触皮膚炎」と「アレルギー性接触皮膚炎」の2種類があります 。
参考)第72回日本アレルギー学会学術集会 聴講録 その1
刺激性接触皮膚炎
誰にでも起こりうるもので、農薬や化学肥料、強い酸やアルカリなどの刺激物質が皮膚に触れることで細胞が傷つき、炎症を起こします。農薬散布時の飛散や、液剤の付着が主な原因です 。特に夏場は汗で皮膚がふやけ、バリア機能が低下しているため、普段なら大丈夫な濃度の薬剤でも皮膚炎を起こしやすくなります。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjrm1952/35/1/35_1_16/_pdf
アレルギー性接触皮膚炎
特定の物質に対してアレルギー反応を持つ人だけに起こります。農業においては、特定の植物や農薬成分がアレルゲンとなります。
代表的な原因植物と対策
農業現場で頻繁に問題となる植物には以下のようなものがあります 。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjrm1952/35/1/35_1_34/_pdf/-char/ja
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjrm1952/43/1/43_1_13/_pdf
農薬による皮膚炎の対策
農薬皮膚炎を防ぐための基本は、薬剤が肌に触れないようにすることです 。
参考)https://www.radionikkei.jp/maruho_hifuka/maruho_hifuka_pdf/maruho_hifuka-200323.pdf
参考)農機安全コラム R2/3
農業に関連するアレルギー性皮膚疾患の調査研究 - J-Stage
参考:農薬散布従事者の約28%に手皮膚炎が見られたというデータや、具体的な予防策としてのパッチテストの重要性が記述されています。
「手袋をしているのに手が荒れる」という経験はありませんか?実は、その手袋自体が接触性皮膚炎の原因になっている可能性があります。これを「ラテックスアレルギー(天然ゴムアレルギー)」と呼びます 。
参考)https://www.monotaro.com/k/store/%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E7%94%A8%20%E6%89%8B%E8%A2%8B/
農業用手袋の多くは、フィット感が良く滑りにくい天然ゴム(ラテックス)で作られています。しかし、長期間ラテックス手袋を使用し続けることで、ゴムに含まれるタンパク質に対してアレルギーを発症することがあります。症状としては、手袋が触れていた部分の赤み、かゆみ、水ぶくれなどがあり、重症化するとアナフィラキシーショックを引き起こすリスクさえあります 。
参考)仕事が原因のアレルギーで労災は認定される?認定基準や具体例を…
手袋選びのポイント
もし手袋をしていて手がかゆくなる場合は、以下の対策を試してください。
また、手袋の再利用にも注意が必要です。農薬や植物の汁が付着した手袋を何度も使い回すと、手袋の内側が汚染されたり、劣化して成分が浸透したりすることがあります。ディスポーザブル(使い捨て)タイプを適宜活用するか、定期的に新しいものに交換することを強く推奨します。
農業従事者特有の、あまり知られていないリスクとして「光接触皮膚炎(ひかりせっしょくひふえん)」があります。これは、特定の植物や薬剤に触れただけでは症状が出ないものの、その後に「日光(紫外線)」を浴びることで初めて炎症が引き起こされる反応です 。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11835600/
光接触皮膚炎の原因となる「光毒性」物質
植物の中には「ソラレン」や「フロクマリン類」といった光毒性を持つ物質を含むものがあります。これらが皮膚に付着した状態で紫外線を浴びると、化学反応が起きて皮膚にダメージを与えます 。
参考)https://www.mdpi.com/2075-1729/14/8/1019
農業現場で注意すべき植物(光毒性を持つもの)
例えば、セロリやパセリの収穫作業中に、葉や茎の汁が腕や首に付着したとします。その時は何も起きませんが、そのまま炎天下で作業を続けると、数時間から翌日になって、汁が付いた部分だけが赤く腫れ上がったり、水ぶくれができたりします。さらに、治った後も色素沈着(シミ)が長く残るのが特徴です 。
参考)接触皮膚炎 - 17. 皮膚の病気 - MSDマニュアル家庭…
この症状の厄介な点は、「ただのかぶれ」や「日焼け」と勘違いされやすいことです。原因が「植物+日光」の組み合わせであることに気づかないと、薬を塗っても日光を浴び続ける限り再発を繰り返してしまいます。
対策の落とし穴
「曇りの日なら大丈夫」と油断してはいけません。紫外線は雲を通過するため、曇天でも光毒性反応は起こり得ます。
対策としては、以下の点が挙げられます。
労災認定の可能性
長期間にわたり特定の化学物質や植物に触れ続け、重篤なアレルギー症状や化学物質過敏症を発症した場合、それが業務に起因すると証明されれば「労災(労働災害)」として認定される可能性があります 。
参考)https://www.tokukaigi.or.jp/files/handbook.pdf
特に農薬による中毒や皮膚炎は、労働基準法施行規則でも職業性疾病として挙げられています 。治療費の負担や休業補償が受けられる場合があるため、症状が重く仕事に支障が出る場合は、一人で悩まず、専門医や労働基準監督署、JAの相談窓口などに相談することを検討してください。診断書には、従事している作業内容や扱っている薬剤名を詳細に記載してもらうことが重要です 。
参考)https://www.mhlw.go.jp/content/11201000/2r98520000033szr.pdf