圧力を上げるほど農薬がよく届く、は大きな誤解で散布量の3割以上が飛散ロスになります。
「霧のいけうち」という通称で知られる株式会社いけうちは、1954年に大阪で創業したスプレーノズル専門メーカーです。創業者・池内博氏は当初、輸出貿易商社を営んでいましたが、ある農業機器メーカーからこんな声を受けたことが転機になりました。「今使っているノズルは摩耗で寿命が短すぎる」。
当時の農薬散布現場では石灰ボルドー液が主流でした。石灰ボルドー液はスラリー性が高く、一般的なステンレス製ノズルで噴霧すると、噴口部分がごく短期間のうちに摩耗・変形してしまうという問題を抱えていたのです。そこで池内氏は、紡糸口金に使っていたセラミック技術を応用し、1961年に世界初となる精度保証付きセラミック製スプレーノズルを開発。これが大手農薬散布機メーカーに広く採用され、いけうちの農業との深い縁はここから始まりました。
これは意外ですね。農薬散布の課題がきっかけで、日本のノズル技術が世界水準に引き上げられたということです。
現在、同社はスプレーノズル事業のほか、アグロ事業・畜産事業・冷却事業など多岐にわたる分野でフォグエンジニアとして活動しており、国内のスプレーノズルシェアはトップクラスを維持しています。農業分野に特化したアグロ事業部は2011年に発足し、農薬散布の自動化・無人化にも積極的に取り組んでいます。
いけうちの扇形ノズルが農業従事者に選ばれる理由は、その精度の高さとラインナップの豊富さです。噴霧角度は15°〜115°まで、流量はごく少量(0.20 L/min)から大流量(150 L/min)まで幅広く対応しており、作物の種類・散布機の種類・圃場の条件に合わせて最適なノズルを選べる体制が整っています。標準圧力は0.3 MPaで設計されており、この条件での噴霧データがカタログに明記されているため、現場での設定がしやすい点も農業従事者から評価されています。
参考:いけうち製品全般の概要・農業との歴史的背景について
株式会社いけうち(Wikipedia)
参考:アグロ事業の取り組みと農薬散布自動化の概要
アグロ事業 | 霧のいけうち公式サイト
いけうちの扇形ノズルには複数のシリーズがあり、農業用散布で特によく使われるのはVVP・VP・YYPの3シリーズです。それぞれ構造・流量分布・用途が異なるため、使い分けを知っておくことが散布精度を左右します。
まずVVPシリーズは、一体形の標準扇形ノズルで同社の中核製品に位置します。噴霧パターンの中央が最も強く、両端にかけて徐々に弱まる「山形流量分布」を持つのが特徴です。これは単頭口で使う場合には中央への集中散布に向いており、複数のノズルを一定間隔で並べてパターンの端同士を重ねる(オーバーラップ)と、全幅にわたって均等な散布量が得られる設計です。材質はステンレス鋼303(S303)・ポリプロピレン(PP)・PVDF(フッ素樹脂)など多種類から選べ、農薬の種類や圃場環境によって耐薬品性・耐摩耗性を考慮した選択が可能です。
つまり、1本使いか複数本配列かで最適なノズルが変わってきます。
VPシリーズは、VVPと同じ山形流量分布の構造を持ちながら、噴口部にセラミックを使用した一体形ノズルです。セラミックチップ入りのため耐摩耗性が高く、石灰ボルドー液などスラリー性の高い農薬を長期間使用する現場でも変形・摩耗が起きにくいのが強みです。いけうちが創業当時から取り組んできたセラミック技術がここにも生きています。なお、セルティーム®というセラミック製噴口部をエンジニアリングプラスチックでモールドしたハイブリッドタイプも展開されており、軽量かつ高耐久を両立しています。
YYPシリーズは広角山形分布ノズルと呼ばれ、低い液圧力で広角の扇形噴霧を実現します。ノズル軸心に対して75°の仰角で噴霧するため、作物の葉裏への散布や、低圧での広範囲散布に向いています。農薬がしっかりと葉裏に届くことが重要な病害虫防除の場面では特に有効です。
| シリーズ | 流量分布 | 噴口材質 | 農業での主な用途 |
|---|---|---|---|
| VVP | 山形(中央強・両端弱) | 金属・樹脂 | 除草剤・防除剤の広幅散布、多頭口配列 |
| VP | 山形(中央強・両端弱) | セラミックチップ入り | スラリー性農薬・石灰ボルドー液の長期散布 |
| YYP | 広角山形 | 金属・樹脂 | 低圧での広幅散布、葉裏への薬剤付着 |
噴霧角度のラインナップはVVP/VPシリーズで15°・25°・40°・50°・65°・80°・90°・115°の8段階が用意されています。農業散布でよく使われるのは65°・80°・90°あたりで、散布高さ(ノズル先端から地面または対象面までの距離)に応じて適切な噴霧幅が得られる角度を選びます。たとえば80°のノズルを高さ50 cmで使用した場合、散布幅はおよそ83 cm前後になります(実測値は設置条件により変化)。
参考:VVPシリーズの仕様・用途・スペック詳細
山形扇形ノズル VVP | 霧のいけうち公式サイト
農業従事者が扇形ノズルを選ぶ際に最も悩みやすいのが、噴霧角度と圧力の組み合わせです。「角度が広ければ一度に広い範囲を散布できて効率的」と考えがちですが、実際はそれほど単純ではありません。
噴霧角度と散布幅の関係を理解する上で基本になるのは、ノズルの設置高さです。たとえばVVPシリーズの80°ノズルを標準圧力0.3 MPaで使うとき、ノズル先端から30 cmの距離での散布幅はおよそ30 cm台となります(いけうちカタログ記載の実測値に基づく目安)。畝間除草の場合、畝幅に合わせた角度と高さの組み合わせを選ぶことで、隣の作物への飛散を最小限に抑えられます。
圧力については、いけうちの標準扇形ノズルの標準設定圧力は0.3 MPaです。ここで重要な注意点があります。圧力を上げると流量が増えると同時に、粒子径が細かくなります。粒子径が100μm以下になると風に飛ばされやすくなり、隣の圃場や周辺環境への飛散(ドリフト)が急増します。北海道農産協会の調査データによると、散布圧力の増加に伴ってドリフトしやすい100μm以下の粒子割合が顕著に増加することが示されています。適正圧力を守ることは、農薬コストの節約だけでなく、近隣作物や水環境への影響を防ぐ観点でも非常に重要です。
圧力は0.3 MPaが原則です。
流量の選び方についても触れておきます。いけうちのVVPシリーズでは、形番の数字部分が噴量区分を表します。たとえば「VVP-8015」なら噴霧角度80°・噴量区分15で、0.3 MPa時に1.50 L/minの流量になります。10aあたりの散布液量の目安と歩行速度・散布幅から逆算して適切な噴量区分を決めることが、散布ムラの防止につながります。慣れないうちは農機メーカーや農協の指導員に相談するのが確実です。
参考:農薬散布時のドリフト発生メカニズムと圧力の関係
農薬の飛散(ドリフト)を低減する具体的な対策 | 山形市
農薬散布用ノズルで最も多いトラブルが目詰まりです。いけうちの扇形ノズルは精度保証付きで設計されていますが、使用環境や管理状態によってはパフォーマンスが急速に低下します。目詰まりの原因を正しく把握しておくことが、長期使用とコスト削減につながります。
主な目詰まりの原因は「異物混入」と「農薬の固着」の2種類です。砂やゴミなどの固体粒子がノズル内部を通過できず詰まるケースと、散布後に残った農薬成分がノズル内で乾燥・固着するケースがあります。後者は特に石灰ボルドー液など固形成分を含む農薬で起きやすく、散布後に清水で十分に通水しないと確実に詰まりが起きます。これは要注意です。
いけうちのVVPシリーズ(金属本体製品)には、小噴量品を中心にストレーナーを装備できる設計になっています。ストレーナーのメッシュ数は流量区分によって異なり、噴量区分が小さいほど細かいメッシュ(200メッシュなど)が設定されます。噴量区分が大きくなるにつれてメッシュは粗くなり(50メッシュ、メッシュなしなど)、異物通過径も大きくなります(0.2 mm〜10.3 mmの範囲)。ストレーナーが詰まると流量が著しく低下し、散布ムラが発生するため、定期的な点検・清掃が必要です。
ノズルの摩耗サインにも注意が必要です。噴霧パターンが均等でなくなる、散布幅が広がる、流量が増えてきたと感じる場合は摩耗のサインです。特にステンレス製ノズルをスラリー性農薬で長期使用した場合、摩耗により噴口径が拡大し、流量が設計値を大幅に超えてしまうことがあります。これは農薬の過散布につながり、薬害や残留農薬の問題を引き起こすリスクがあります。セラミックチップ入りのVPシリーズや、耐摩耗性材質を採用したノズルに切り替えることで、交換頻度を大幅に削減できます。
参考:いけうちのノズル耐摩耗材質切り替えによる長寿命化事例
過酷環境下で使用されるノズルの長寿命化を実現 | 霧のいけうち
ここまで解説してきた選び方・メンテナンスを踏まえ、一般的な記事ではあまり触れられていない活用の視点を紹介します。いけうちの扇形ノズルは本来、鉄鋼・自動車・食品業界など幅広い産業向けに開発された汎用製品であり、その設計思想を農業現場で賢く活かす方法があります。
まず注目したいのが「三組形(三部品形)」という構造のノズルです。いけうちには、スプレーチップ・キャップ・アダプターの3部品で構成されたタイプがあり、摩耗したスプレーチップだけを交換できるのが特長です。ノズル本体(アダプター部分)は頻繁に交換する必要がないため、長期的なコスト削減につながります。農業用途ではシーズンごとに散布薬剤が変わる場合も多く、チップだけ交換することで異なる流量・角度に対応できる柔軟性も魅力です。
次に、いけうちが提供しているカタログには、圧力ごとの流量一覧が非常に詳細に記載されています。0.05 MPaから2 MPaまで7段階の圧力での流量値が掲載されており、現場の動噴設定が標準の0.3 MPaよりも低かったり高かったりする場合でも、実際の散布量を事前に計算できます。これは散布量の過不足を防ぐ上で非常に実用的な情報です。現場での実測値と突き合わせながら管理することで、農薬コストを最適化できます。
これは使えそうです。
さらに、自在形(UT付きVP)という関節付きノズルも見逃せません。ノズルの噴霧方向を40°未満の範囲で自由に調整できるため、傾斜地や不整形な圃場、棚仕立ての果樹など、固定配管が難しい環境での散布に対応できます。農業現場は平坦な工場ラインとは異なり、地形や作物形状が多様なため、こうした可変式ノズルは実用性が高いと言えます。
いけうちの農業向けソリューションという視点では、同社が2016年に開発した「CoolPescon®」というシステムも注目です。農業畜産業界向けに特化した冷房・加湿・薬液散布を統合したシステムで、施設園芸(ハウス栽培)での農薬散布の自動化・無人化を実現するものです。重労働かつ健康被害リスクのある農薬散布作業を機械化することで、農業従事者の負担を大幅に低減できます。個々のノズル選定と同時に、将来的な省力化の方向性として把握しておく価値があります。
いけうちの扇形ノズルは、単なる消耗品として扱うのではなく、品番・圧力・材質・構造の組み合わせを現場条件に合わせて最適化することで、散布効率・農薬コスト・作業安全性のすべてで大きな差が出ます。まずは手元のノズルの品番を確認し、いけうちの公式サイトまたはカタログで仕様を照合するところから始めるのがおすすめです。
参考:いけうち製品カタログ(扇形ノズル全シリーズ仕様)
製品一覧 | 霧のいけうち公式サイト