イチゴ栽培において、花芽検鏡(はなめけんきょう)は、その後の収量や収穫時期を左右するとても重要な作業です。特に促成栽培においては、頂花房の「花芽分化」を確認してから定植することが鉄則とされています。もし未分化のまま定植してしまうと、「花飛び」と呼ばれる現象が起き、収穫が大幅に遅れたり、株が過繁茂になって管理が難しくなったりするリスクがあります。逆に、分化が進みすぎた老化苗を定植すると、極端な早出しにはなりますが、その後の生育が停滞し「中休み」が長引く原因になります。
花芽検鏡の方法は一見難しそうに見えますが、正しい手順と道具さえ揃えれば、生産者自身で行うことが可能です。まずは必要な道具を準備しましょう。
農研機構:大規模いちご生産技術導入マニュアル(花芽検鏡の手順詳細あり)
検鏡を行うサンプル苗の選び方も重要です。圃場全体の状態を把握するためには、生育が「平均的な株」を選ぶのが基本です。大きすぎる株や小さすぎる株ばかり選ぶと、定植の判断を誤る可能性があります。通常、1つのハウスや品種ごとに3〜5株程度を抜き取って検査します。これは破壊検査になるため、苗がもったいないと感じるかもしれませんが、数千株の定植時期を間違えるリスクに比べれば安いコストと言えます。
準備段階で忘れがちなのが、顕微鏡の光源の確保です。成長点は非常に小さく、影になると全く見えません。リングライト付きの顕微鏡がベストですが、ない場合はデスクライトを斜め上からしっかりと当て、手元が明るくなるように調整してください。
いよいよ顕微鏡を使った実践です。花芽検鏡で最もハードルが高いのが、「成長点(生長点)までたどり着くこと」です。イチゴの成長点は、幾重にも重なった葉の最も中心部、クラウンの頂点にあります。ここに到達するまでに、展開した葉から未展開の小さな葉まで、すべてを丁寧に取り除く必要があります。
具体的な手順とコツ:
成長点を見失わないためのポイント:
初心者が陥りやすいミスは、最後の1枚(苞葉や極小の未展開葉)を成長点と勘違いすることです。成長点は、透き通ったドーム状(または平坦)をしており、艶があります。一方、未展開葉には毛羽立ちがあったり、形状が尖っていたりします。
ここで「あまり知られていない意外なテクニック」ですが、成長点付近の粘り気に注目してください。成長点に近づくと、植物体から出る粘液で針先が少しネバつく感触があります。この感触を指先で感じ取れるようになると、誤って成長点を突き刺してしまう事故が減ります。また、どうしても見えにくい場合は、あえて検鏡用サンプルを半日ほど冷蔵庫で予冷してみてください。組織が少し引き締まり、剥離作業がしやすくなることがあります。
JAいしのまき:花芽の状態から定植時期を逆算する取り組み
参考)花芽の状態から定植時期を逆算/イチゴ花芽分化検鏡が開始|JA…
剥離が進み、対象物が0.1mm〜0.2mm程度になると、肉眼ではただの点にしか見えません。顕微鏡の倍率を上げ、焦点を微調整しながら、慎重に最後の被覆物を除去します。ここで染色液が活躍します(後述)。染色することで、透明で見えにくかった組織の凹凸がくっきりと浮かび上がり、「これが成長点だ!」と確信を持って判断できるようになります。
成長点が露出したら、次はその形状を見て「花芽分化ステージ」を判定します。この判定こそが花芽検鏡の目的です。イチゴの花芽分化は、連続的な変化ですが、便宜上いくつかのステージに分けて呼ばれます。各ステージの特徴を正確に把握しましょう。
| ステージ名 | 判定基準(形状の特徴) | 定植判断 |
|---|---|---|
| 未分化 (A) | 成長点は小さく、平坦または低いドーム状。まだ葉を作っている段階。 | 待機。まだ定植してはいけません。 |
| 肥厚初期 (B) | 成長点が明らかに盛り上がり、大きくて高いドーム状になる。ツヤが出てくる。 | 待機。花芽分化のスイッチは入っていますが、肉眼的な分化はまだです。 |
| 肥厚中期〜後期 (C) | ドームの基部が広がり、全体にどっしりとした形になる。頂部が平らになり始めることもある。 | 準備。あと数日で形態的な分化が見られます。 |
| 萼片形成期 (D) | ドームの基部周辺に、コンペイトウのような小さな突起(萼片の原基)が並ぶ。 | 定植適期! 明確に花芽になった証拠です。 |
| 雄しべ・雌しべ形成期 (E) | さらに内側に突起ができ、複雑な形になる。 | 適期〜やや遅め。早急に定植しましょう。 |
独自視点:ステージ判定の「迷い」を消す思考法
教科書的な図解と、実際に見る生体サンプルは異なることが多々あります。特に「肥厚しているのか、ただ大きい未分化なのか」迷うことがあります。
この時、判断の助けになるのが「成長点の立ち上がり角度」です。未分化の成長点は、周囲の組織となだらかに繋がっていることが多いですが、肥厚期に入った成長点は、お盆の上に餅を置いたように、境界線が「くびれて」見え始めます。このくびれ(境界の明瞭さ)こそが、生理的な変化が起きているサインです。
また、「頂花房(ちょうかぼう)」と「腋花房(えきかぼう)」の違いも意識する必要があります。通常、検鏡するのは一番最初に出る頂花房ですが、時期が遅れると、そのすぐ脇にある腋芽(次の花房の元)も動き出していることがあります。顕微鏡の中で「成長点が2つある!?」と驚くことがありますが、大きい方(メイン)のステージで判断します。
北海道農政部:イチゴ大規模生産マニュアル(ステージ写真あり)
参考)https://www.pref.hokkaido.lg.jp/fs/4/9/6/7/8/3/9/_/ichigo.seisangaiyou.pdf
プロの農家は、単に「分化しているか否か」だけでなく、「分化の均一性」も見ます。3株中1株が萼片形成、2株が未分化であれば、圃場全体としてはまだ早いと判断します。逆に、すべてが肥厚期であれば、数日以内に一斉に分化すると予測し、定植準備(マルチ張りや灌水チューブの設置)を始めます。このように、検鏡結果は「点」ではなく「未来の予測線」として活用するのがコツです。
精度の高い花芽検鏡を行うためには、道具へのこだわりも重要です。特に「針」と「染色液」は、作業効率を劇的に変えます。
1. 最強の針を自作する
市販の解剖針は、先端が円錐状に尖っています。しかし、熟練者が好んで使うのは「ナイフ型」に研いだ針です。
2. 染色液のハックと代用品
一般的に研究機関では、細胞核を染める「酢酸カーミン」や「酢酸オルセイン」などが使われますが、これらは入手が面倒で高価、かつ劇物扱いの場合もあります。
現場の農家におすすめなのは、以下の代用品です。
染色液を使うタイミング
剥離作業の途中ではなく、「成長点らしきものが見えた後」に滴下するのが鉄則です。最初から液まみれにすると、どこを剥いているのかわからなくなります。
スポイトで一滴垂らし、数秒〜1分待ってから、ティッシュペーパーのこより(ねじった先端)で余分な液を吸い取ります。すると、溝の部分にだけ液が残り、コンペイトウのような萼片の凹凸が驚くほどクリアに見えるようになります。
Youtube:イチゴ栽培の実践 花芽検鏡準備(インクや道具の解説)
これらの道具を使いこなすことで、検鏡のストレスは大幅に減ります。「見えない、わからない」と悩んでいる方は、まず針先を研ぎ直し、染色液を変えてみることを強くお勧めします。
最終的に、花芽検鏡のゴールは「最適な定植時期の決定」です。しかし、検鏡結果だけを見て機械的に定植日を決めるのは危険です。以下の要素を総合的に判断する必要があります。
1. 検鏡結果と気象条件のリンク
検鏡で「萼片形成期(ステージD)」を確認しても、その後の天候が猛暑であれば、定植後に花芽の発達が止まる「分化の逆戻り(破棄)」のような現象が起きたり、奇形果になったりするリスクがあります。
2. 葉かき(摘葉)との兼ね合い
育苗後半に行う「葉かき」作業も、花芽分化に影響を与えます。葉数を減らすことで植物体に窒素中断効果(C/N比を高める)を与え、花芽分化を促進させることができます。検鏡の結果、分化が遅れている(未分化のまま)と感じたら、最後の手段として強めの葉かきを行い、分化を促すという判断も可能です。このように、検鏡は「観察」だけでなく「管理作業の修正」に使うツールでもあります。
3. 苗の不揃いへの対応
前述したように、サンプル間でステージにバラつきがある場合、「最も遅れている株」に合わせて定植時期を決めるのがセオリーです。進んでいる株に合わせて定植してしまうと、未分化株が混ざり込み、収穫のスタートダッシュでつまづきます。全体の8割以上が分化している状態を狙いましょう。
4. 定植後の水管理
検鏡で分化を確認して定植した直後は、活着促進のために多めの灌水を行いますが、花芽は水ストレスに敏感です。活着後は速やかに灌水量を調整し、花芽を保護する必要があります。検鏡で見た「あの小さなドーム」が、数ヶ月後に真っ赤なイチゴになることをイメージしながら、繊細な管理を行うことが成功の秘訣です。
セディアグリーン:イチゴの花芽分化について(検鏡の重要性と定植判断)
花芽検鏡は、イチゴと対話するための翻訳機のようなものです。肉眼では見えない植物の「やる気スイッチ」を確認することで、自信を持って定植作業に進むことができます。最初は見えなくてイライラするかもしれませんが、数をこなせば必ず見えるようになります。今年の作付けでは、ぜひご自身の目で成長点を確認し、最高の一番果を目指してください。