農業の現場において、付加価値を高めるための手段として「特別栽培農産物」への取り組みを検討される方は増えています。しかし、有機JASほど厳格ではないものの、その仕組みや「認定」と「ガイドライン」の関係性は意外と複雑で、誤解されている部分も少なくありません。特に「減農薬」という言葉が法的に表示禁止になった現在、正しい知識を持って制度を利用することは、ペナルティを回避し、消費者の信頼を勝ち取るために不可欠です。ここでは、現場の生産者が実際に直面する申請のハードルや、実務的なメリット、そして意外と知られていないコスト感について、深掘りして解説します。
「特別栽培農産物」とは、その農産物が生産された地域の「慣行レベル(各地域の慣行的に行われている節減対象農薬及び化学肥料の使用状況)」に比べて、節減対象農薬の使用回数が50%以下、かつ化学肥料の窒素成分量が50%以下で栽培された農産物のことを指します。
参考)特別栽培農産物に係る表示ガイドライン:農林水産省
ここで最も重要なのが、比較対象となる「慣行レベル」です。これは全国一律ではなく、都道府県ごと、さらには地域や作物ごとに細かく設定されています。例えば、北海道のタマネギと佐賀県のタマネギでは、気候条件が異なるため、基準となる農薬の使用回数が全く異なります。自分の地域で策定されている「慣行レベル」を正確に把握していないと、減らしたつもりが基準オーバーだった、という事態になりかねません。
参考)特別栽培農産物の基準となる慣行レベルについて - 愛知県
多くの生産者が勘違いしやすいのが、農薬の使用回数のカウント方法です。「散布回数」ではなく、「有効成分の数」でカウントされるという点に注意が必要です。
つまり、作業省力化のために複数の成分が入った混合剤を使用すると、散布作業は1回で済んでも、特別栽培の基準においては一気に2回分、3回分としてカウントされてしまうのです。この計算を誤り、収穫直前になって「基準値を超えてしまったため、特別栽培として出荷できない」と判明するケースは後を絶ちません。
一方で、展着剤などの補助剤は、多くの自治体でカウント対象外(0回)とされていますが、これも県によって解釈が異なる場合があるため、必ず手引きを確認する必要があります。
参考)https://www.maff.go.jp/j/jas/jas_kikaku/pdf/tokusai_qa.pdf
参考リンク:農林水産省 特別栽培農産物に係る表示ガイドライン(制度の基本定義と全国共通ルールについて)
現場でよくある疑問が、「役所の認定を受けないと特別栽培農産物として売れないのか?」という点です。
結論から言えば、国のガイドラインを遵守し、必要な表示事項(責任者の氏名や連絡先など)を記載すれば、第三者機関の認定を受けなくても「特別栽培農産物」と表示して販売することは可能です。これは「自己宣言」と呼ばれる形式です。
参考)意外と知らない特別栽培の基本。補助金は? 農薬使用回数のカウ…
では、なぜわざわざ手間とコストをかけて認証機関の認定を受けるのでしょうか。そこには明確なメリットと、「自己宣言」のリスク回避という側面があります。
自己宣言の場合、消費者は「本当に基準を守っているか」を生産者のモラルに委ねることになります。一方、都道府県や登録認証機関の審査を受けると、その自治体独自の「認証マーク(例:エコ農産物マークなど)」をパッケージに貼付できます。これはスーパーのバイヤーや消費者に対して強力なアピール材料になります。
前述の農薬カウントや肥料計算は複雑です。認証機関を通す場合、作付け前に「栽培計画書」を提出し、プロの目で「この計画なら基準内におさまるか」をチェックしてもらえます。これにより、収穫後に「実は基準外だった」という致命的なミスを防ぐことができます。
参考)特別栽培農産物 認証の仕組み
学校給食や大手スーパー、生協などの一部の取引先では、自己宣言ではなく「第三者認証を取得していること」を取引条件にしている場合があります。
ただし、認定を受けるということは、外部の監査を受け入れるということであり、栽培管理記録簿の不備などは許されません。「確認責任者」という役割を設置し、収穫前に現地の看板設置状況や記録の整合性をチェックされるプロセスは、慣行栽培にはない厳格さがあります。
認定を受けるためのプロセスは、種を蒔くずっと前から始まっています。思いつきで「今年は農薬が少なかったから特別栽培で売ろう」ということはできません。以下に、一般的なフローと、実務上の負担について解説します。
まず、どの畑で、どの品種を、どのくらいの面積で作るか、そしてどんな農薬と肥料をいつ使う予定かを詳細に記した計画書を作成し、認証機関に提出します。この時点で、前述の「成分カウント」や「窒素量計算」を行い、基準値の5割以下になることを証明しなければなりません。
特別栽培を行う畑は、他の畑(慣行栽培の畑)と明確に区分けする必要があります。また、栽培期間中は、畑の見やすい場所に「特別栽培農産物」である旨や、責任者の連絡先、使用している農薬・肥料の情報を記載した看板(表示板)を設置する義務があります。これは近隣住民への周知だけでなく、誤って隣の畑の農薬がかからないようにする(ドリフト防止)ための警告の意味もあります。
最も現場の負担となるのがこれです。いつ、何を使ったかを正確に記録し続ける必要があります。肥料の袋や農薬の空き瓶の保管を求められることもあります。
収穫前に、認証機関の検査員が畑に来て、作物の生育状況、看板の設置、記録簿の内容、農薬保管庫の状況などをチェックします。
すべての基準を満たしていると判定されて初めて、認定証が交付され、専用のシールを貼って出荷が可能になります。
特に「記録」は、万が一残留農薬検査などで問題が起きた際の唯一の証拠となります。「忙しくて後でまとめて書こう」としていると、検査の際に日付の矛盾を指摘され、最悪の場合認定取り消しとなるリスクがあります。
参考リンク:福井県特別栽培農産物認証制度(具体的な申請フローや帳票の例として参考になります)
生産者にとって最も気になるのが、「手数料を払って、手間をかけて、本当に儲かるのか?」という点でしょう。
認証機関や都道府県によって大きく異なりますが、コストの相場感は以下の通りです。
合計すると、個人農家であれば年間数万円〜10万円程度の出費になることが一般的です。有機JAS認証(数十万円かかることが多い)に比べれば安価ですが、決して無視できる金額ではありません。
正直なところ、「特別栽培のシールを貼ったから、市場価格が2倍になる」ということは稀です。市場出荷(JA等を通じた一般流通)では、慣行栽培+α程度の価格差しかつかないこともあります。
しかし、「選ばれる理由」としての価値は絶大です。
つまり、単なる「値上げ」の手段ではなく、「安売り競争からの脱却」や「有利な販路の開拓」のための投資と捉えるのが、コスト対効果を正しく評価する視点と言えます。
最後に、技術的なハードルについても触れておきます。特別栽培農産物の基準である「化学肥料の窒素成分50%削減」は、農薬削減以上に難しいと感じる農家が多いのが現実です。
化学肥料は即効性があり、収量確保の計算がしやすい資材です。これを半分にするということは、残りの栄養分を堆肥や有機質肥料で補う必要があります。しかし、有機質肥料は気温や土壌条件によって分解・肥効の発現が左右されやすく、コントロールが難しいのです。
認定を取得するためには、単に申請書を書くだけでなく、こうした「土作り」の技術向上が不可欠です。逆に言えば、特別栽培に取り組むことは、自身の栽培技術を一段階上のレベルへ引き上げる良い機会とも言えるでしょう。
参考リンク:農林水産省パンフレット(節減対象農薬・化学肥料の削減計算の具体例が掲載されています)