水源涵養機能とは農業用水を守る森の力

水源涵養機能とは何か、農業従事者が知っておくべき仕組みや3つのサブ機能、そして農業用水との深い関係を解説します。上流の森林管理が農地の水量・水質を左右するとはどういうことでしょうか?

水源涵養機能とは何か農業と森の深い関係

間伐を怠った人工林では、農業用水が最大で年間数十ミリ分も減少する可能性があります。


この記事の3ポイント要約
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水源涵養機能の基本

森林の土壌が雨水を貯留・浄化し、洪水緩和・水資源貯留・水質浄化の3機能で農業用水を安定供給する仕組みです。

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農業と水源の直結

森林の水源涵養機能の経済的価値は水資源貯留だけで年間約8兆7,407億円。農業用水の安定供給はこの機能に依存しています。

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農家が取れる対策

田んぼダムや多面的機能支払交付金の活用で、農地そのものが水源涵養機能を補完する役割を担えます。


水源涵養機能とは何か基本の定義と仕組み

水源涵養(すいげんかんよう)機能とは、森林の土壌が雨水を貯留し、河川へ流れ込む水の量を平準化して洪水を緩和するとともに、川の流量を安定させる機能のことです。林野庁・農林水産省もこの定義を公式に採用しており、農業に欠かせない水循環を支える根幹として位置づけられています。


「涵養(かんよう)」という言葉は、辞書的には「自然に水がしみ込むように徐々に養い育てること」を意味します。一朝一夕ではなく、長い年月をかけて水源としての機能を育む、というニュアンスが込められています。農業従事者にとっては「水を育てる力」と理解するとわかりやすいでしょう。


では、仕組みはどうなっているのでしょうか。森林に降った雨は、樹木の葉や幹の表面を伝い、落ち葉や土壌の隙間(孔隙:こうげき)へとゆっくり浸み込みます。この孔隙は、土壌動物・微生物・根の活動によって無数に形成されており、森林土壌の約60%が孔隙であるとも言われています。スポンジのように水を吸い込んだ土壌は、大雨のときに川が急に増水するのを防ぎ、雨が降らない乾燥期でも川の流量を維持する役割を果たします。


つまり「緑のダム」ということですね。


この緑のダム機能が失われると、大雨時には下流の農地が洪水にさらされ、旱魃期には農業用水が枯渇するという二重のリスクが農家に直撃します。国内の農業用水の相当部分が、こうした森林の働きによって支えられています。



林野庁による水源涵養機能の公式解説ページです。洪水緩和・水資源貯留・水質浄化の3機能の概要を確認できます。


水源涵養機能 - 林野庁(農林水産省)


水源涵養機能の3つのサブ機能と農業への具体的影響

日本学術会議の答申でも整理されているように、水源涵養機能は大きく3つのサブ機能に分けて理解するのが一般的です。これらは独立したものではなく、互いに連動しながら農業用水の量と質を守っています。


① 洪水緩和機能


大雨が降ったとき、森林の土壌が雨水を一時的に吸収することで、河川への流出量のピーク(最大流量)を抑制します。林野庁の試算では、この機能の経済的価値は年間約6兆4,686億円と評価されています。ダム換算で言えば、東京ドームの容積(約124万㎥)の数万倍分の貯水効果に相当する規模です。農地にとっては、上流の森林が健全であるほど、ゲリラ豪雨による水田・畑の冠水リスクが下がるということを意味します。


② 水資源貯留機能(渇水緩和)


土壌に浸み込んだ水が、乾季や少雨期にも地下水となってゆっくり流れ出すことで、川の流量を安定させます。この機能の経済的価値は年間約8兆7,407億円と試算されており、農業用水・生活用水の安定供給を下支えする機能として最大の評価を受けています。この数字が基本です。


稲作を例に挙げると、田植えから出穂期にかけての用水需要が最大になりますが、その時期の河川流量が安定しているかどうかは、上流域の森林が適切に管理されているかどうかと深く関係しています。


③ 水質浄化機能


雨水が森林の土壌層・岩石層をゆっくりと通過する過程で、窒素・リン・濁り成分が除去・吸着されます。さらに岩石の化学的風化によってカルシウムやマグネシウムなどのミネラル分が加わり、農業用水として望ましい水質が形成されます。この機能の経済的価値は年間約14兆6,361億円とされており、3つのサブ機能の中で最も高い貨幣評価額となっています。これは使えそうです。


農業においては、灌漑用水の水質が農産物の品質・収量に影響するため、水源上流の森林が健全であることは直接的な農業経営上の資産といえます。



水源涵養機能の3サブ機能についてQ&A形式でまとめた、森林総合研究所の公式資料です。


森林の水源かん養機能とはどのようなことですか(森林総合研究所PDF)


水源涵養機能が低下する原因と農業用水への打撃

水源涵養機能は、森林があれば自動的に発揮されるわけではありません。これは意外と知られていない事実です。管理状態によっては、森林があっても機能が著しく低下するケースがあります。


最大の要因が「人工林の間伐遅れ」です。戦後の拡大造林政策によって全国で植えられたスギ・ヒノキの人工林は、現在の国内森林面積の約4割を占めています。これらの多くが50年生を超え、本格的な利用・管理期を迎えているにもかかわらず、採算性の問題から間伐が遅れているケースが各地で報告されています。


間伐が行われないと何が起きるのでしょうか。立木密度が高くなりすぎると、樹冠が閉じて林床(地面)に光が届かなくなります。その結果、下層植生(下草・低木)が衰退し、地面が裸地化します。特にヒノキ林では、リターが鱗片状に剥離して流亡しやすく、土壌も撥水性を帯びるため、雨水が浸透せずに表面を流れる「地表流」が発生しやすくなります。


東京農工大学の測定結果によると、林床の被覆率が75%を下回ると、雨水が地中に浸透する割合が急激に低下します。逆に被覆率が75%を超えていれば、大雨でも地表流は降雨量の10%程度に抑えられ、9割が浸透します。この数値は農業従事者が知っておくべき目安です。


また、近年はシカによる採食被害で下層植生が消滅した山林でも、同様の問題が起きています。神奈川県丹沢の調査では、シカの食害で裸地化した自然林で年間2〜10mm相当の土壌侵食が確認されており、これははげ山と同程度の侵食量です。侵食された土壌は濁水となって下流の農業用水路に流れ込み、用水の水質悪化や水路の堆積閉塞につながります。


厳しいところですね。


さらに近年の気候変動による集中豪雨の増加も、水源涵養機能への負荷を高めています。管理不足の人工林では、大雨時に表面流出が急増し、従来は洪水リスクが低かった下流農地まで浸水被害が拡大するケースも報告されています。



神奈川県農業技術センターによる、森林の水源かん養機能と管理状態の詳細な解説ページです。林床被覆率と地表流の関係図を含む科学的データが参照できます。


かながわの水源林 森林の水源かん養機能と森林管理(神奈川県)


水源涵養機能の経済的価値と農業への恩恵

日本学術会議が試算した「森林の多面的機能の経済評価」では、水源涵養機能に関連する3つの評価項目(洪水緩和・水資源貯留・水質浄化)の合計が年間約29兆8,454億円にのぼります。これは日本の国家予算のおよそ4割に匹敵する規模です。


この数字を農業の視点で読み解くと、何が見えてくるでしょうか。農業用水の安定確保に必要なダムや貯水設備を人工的に整備しようとした場合、これだけの費用がかかるということを意味します。つまり、上流の森林が健全に機能し続けることで、農家は莫大な水源確保コストを負担せずに済んでいます。


結論はシンプルです。森林の水源涵養機能は、農業経営を下支えする「見えないインフラ」です。


また、水源涵養機能を発揮する森林の保全は、農業分野の政策とも密接に結びついています。農林水産省が推進する「多面的機能支払交付金」は、農地・農村が持つ国土保全・水源涵養・景観形成などの多面的機能を維持・発揮するための活動を支援する制度です。農業従事者がこの制度を活用することで、農地周辺の水路・農道の維持管理に加え、水源の森を守る活動への参加も支援対象となります。


なお、日本全国の保安林のうち「水源かん養保安林」は延べ847万haを占め、全保安林面積の約70.3%に相当します(森林総合研究所のデータより)。国土面積の大部分にあたる森林が、農業・生活用水の水源として法的に保護されていることは、あまり広く知られていません。意外ですね。



森林の有する多面的機能の経済的評価額一覧表が掲載されている、林野庁の公式ページです。


森林の有する多面的機能について - 林野庁(農林水産省)


農業従事者が水源涵養機能を守るために今日からできること

水源涵養機能は「山奥の話」ではなく、農業経営の足元に直結するテーマです。では、実際に農業従事者として取り組める行動にはどんなものがあるのでしょうか。


田んぼダムへの参加


農林水産省が全国で普及を進める「田んぼダム」は、水田の排水口に調整板を設置して雨水の流出速度を遅らせる取り組みです。これにより、水田自体が一時的な貯留機能を持つことになり、下流の浸水被害軽減と農地の湿害防止を同時に実現します。新潟県や山形県などでは大規模に導入が進み、農家904戸・1,014haの水田で実施した事例(農林水産省報告)も出ています。自分の水田が水源涵養の役割を担える、という点では画期的な発想です。


田んぼダムは設置コストが低く、通常の農業管理と並行して取り組める手軽さが特長です。「多面的機能支払交付金」の「田んぼダム加算」を活用すれば、活動に要するコストの一部が交付金として支援されるため、経済的な参加障壁も低くなっています。


地域の水源林管理への参画


農業従事者が地元の林業・森林組合・自治体が進める水源林の間伐活動や植林ボランティアに参加することも、直接的な行動として有効です。自分の農業用水を守る上流の森が健全に保たれることは、中長期的な農業経営リスクの低減につながります。


特に、農地の上流域に放置された荒廃人工林がある場合、大雨時の濁水流入や土砂流出のリスクが高まります。地域の行政窓口(農林課・林務課など)に相談し、保安林の指定状況や管理計画を確認しておくことが重要です。


これが農業経営を守る基本です。


流域全体の水循環を意識した農業設計


農業用水の取水場所から上流の流域全体を「一つのシステム」として把握することも、現代農業の視点として重要です。特に近年は気候変動による降雨パターンの変化が顕著で、従来の用水計画が通用しなくなるケースも増えています。地域農業協同組合土地改良区・市町村が作成する「流域水管理計画」や「田んぼダム実施マニュアル」(各都道府県が作成)を入手し、自分の農地がどの流域に属しているかを把握しておくだけでも、先を見越した農業計画に役立ちます。



農林水産省が公開している田んぼダムの取り組み事例集です。農家904戸・1,014haの実施事例など具体的な数字が確認できます。


田んぼダムによる防災・減災の取組(農林水産省PDF)



多面的機能支払交付金の田んぼダム加算など、農業従事者が活用できる支援制度の詳細が掲載されています。


森林の水源涵養機能に係る解説資料(林野庁PDF)