農業現場で頻繁に目にする「可塑剤」という言葉ですが、正しくは「かそざい」と読みます。「かしょうざい」や「かそくざい」と誤読されることが多いですが、この言葉の「可塑(かそ)」とは、「力を加えると変形し、力を除いてもその形が残る性質(可塑性)」を意味しています。つまり、可塑剤とは、本来は硬くて脆い物質に柔軟性を与え、加工しやすくするための添加剤の総称です。
農業用資材において、可塑剤が最も活躍するのは塩ビ(ポリ塩化ビニル/PVC)製品です。塩ビ樹脂は、そのままでは非常に硬く、パイプ(VP管など)のようにカチカチの状態です。しかし、農業用ホースやビニールハウスのフィルム(農ビ)として利用するためには、しなやかな柔軟性が不可欠です。ここで可塑剤の出番となります。
イメージしやすい例えとして、「粘土と水」の関係がよく挙げられます。乾燥してカチカチの粘土(塩ビ樹脂)に、水(可塑剤)を加えて練り込むと、柔らかくなり自由な形に成形できるようになります。塩ビ製品の場合、重量の数十パーセントもの可塑剤が混ぜ込まれていることも珍しくありません。この配合量を変えることで、硬いパイプから柔らかいホースまで、用途に合わせた硬度調整が可能になるのです。
農業資材を選ぶ際、パッケージに「軟質塩ビ」と書かれていれば、それは間違いなく可塑剤が含まれていることを意味します。逆に、可塑剤が含まれていない、あるいは微量しか含まれていないものは「硬質塩ビ」と呼ばれます。この基本的な性質を理解しておくと、資材の経年劣化やトラブルの原因を特定しやすくなります。
可塑剤には多くの種類がありますが、最も代表的で安価なのがフタル酸エステル類(特にDEHPなど)です。かつては農業用資材を含むあらゆる軟質塩ビ製品に使われていましたが、近年ではその毒性や安全性への懸念から、世界的に規制が強化されています。
フタル酸エステル類の一部は、内分泌かく乱化学物質(いわゆる環境ホルモン)としての疑いや、生殖毒性の可能性が指摘されています。これにより、欧州のREACH規制をはじめ、日本でも食品衛生法や玩具への使用規制など、人が直接口に入れたり触れたりする用途での使用が厳しく制限されるようになりました。
農業従事者にとって特に注意が必要なのは、「食品用」ではない農業用ホースや手袋の扱いです。
一般的な農業用散水ホース(青色のものなど)には、コストパフォーマンスに優れた従来のフタル酸系可塑剤が使われているケースが多々あります。これらは「散水用」として設計されており、飲料水や食品加工用としての安全性は保証されていません。
もし、収穫した野菜を洗う際や、加工食品の製造ラインで、一般の農業用ホースを使用している場合、ホース内を通る水に可塑剤が溶け出す(溶出する)リスクがあります。特に夏場の高温時は溶出量が増える傾向にあります。消費者の食の安全に対する意識が高まる中、生産工程で使用する資材の「材質」や「食品衛生法適合」の有無を確認することは、リスク管理として非常に重要です。
NITE:フタル酸エステルのリスク評価と管理の現状についての報告書
農業用ハウスや古い倉庫で、長い間置いてあったホースやコードの表面がベタベタしていたり、触れていたプラスチックケースが溶けてくっついてしまったりした経験はないでしょうか?これは可塑剤の移行(マイグレーション)と呼ばれる現象が原因です。
可塑剤は、塩ビ樹脂の分子の間に物理的に入り込んでいるだけで、化学的に結合しているわけではありません。そのため、時間の経過や温度変化、圧力などの影響で、徐々に表面へと染み出してきます。これを「ブリードアウト(泣き出し)」とも呼びます。
農業現場では、この移行現象が以下のようなトラブルを引き起こします。
ブリードアウトした可塑剤は油のような粘着質です。これがハウスフィルムやホースの表面に出ると、土埃やゴミを吸着し、真っ黒に汚れます。さらに、可塑剤の一部はカビ(真菌)の栄養源となるため、湿度の高いハウス内では黒カビが繁殖しやすくなり、衛生環境の悪化を招きます。
可塑剤が抜けてしまった塩ビ製品は、元の「硬い」性質に戻っていきます。何年も使った古いホースが冬場にカチカチに固まって割れてしまったり、農ビが破れやすくなったりするのは、柔軟性を保っていた可塑剤が抜けてしまった(移行・揮発してしまった)ことが大きな要因です。
閉め切った高温のビニールハウス内では、揮発した可塑剤(特にDIBPなど)が空気中に漂い、作物の気孔から取り込まれることで生育障害を起こす事例も過去に報告されています。現在流通している農ビ(農業用ビニール)は対策が施された製品が主流ですが、安価な輸入品や用途外のシートを使用する際は注意が必要です。
J-STAGE:可塑剤の揮発成分が農作物に与える影響に関する研究論文
これは検索上位の一般的な解説記事ではあまり触れられていませんが、農業機械を管理する上で知っておくべき非常に重要な現象です。可塑剤を含んだ軟質塩ビ製品(ホースやコード)と、硬質プラスチック(特にABS樹脂やポリカーボネート、スチロール樹脂)が長時間接触していると、「ケミカルクラック(応力腐食割れ)」と呼ばれる破損事故が発生することがあります。
動力噴霧器(スプレイヤー)の薬液タンクや、トラクターの操作パネル、プラスチック製の工具箱などは、強度のある硬質プラスチックで作られています。これらの製品の上に、可塑剤をたっぷり含んだ農業用ホースや延長コードを巻き付けたり、重ねて保管したりしていませんか?
可塑剤は「相手を選んで」移行します。特にスチロール系やポリカーボネート系の樹脂は、可塑剤に対する耐性が低く、接触した部分に可塑剤が浸透してしまいます。すると、プラスチックの分子結合が緩み、そこにわずかな力が加わるだけで、ガラスが割れるようにピシッと亀裂が入ってしまいます。
「何もぶつけていないのに、タンクにヒビが入って液漏れした」
「工具箱の取っ手が突然割れた」
こうした原因不明の破損の多くは、実は保管中に触れていたホースやコードからの可塑剤の成分による攻撃(ケミカルアタック)が犯人であるケースが少なくありません。これを防ぐための対策はシンプルですが重要です。
農業機械は高価な資産です。単なる「劣化」と片付けずに、可塑剤の特性を理解した保管を行うことで、無駄な修理費を防ぐことができます。
近年、SDGsや環境配慮の観点から、農業資材においても「脱フタル酸」の流れが加速しています。しかし、すべての可塑剤が悪者というわけではありません。用途に合わせて適切な添加剤が使われた製品を選ぶ目を持つことが、これからの農業経営には求められます。
現在、市場には以下のような代替可塑剤や新素材が登場しています。
フタル酸系に比べて耐油性や耐熱性に優れ、食品用ホースや耐油ホースによく使用されます。価格は高めですが、食品衛生法に適合しているものが多く、収穫後の洗浄ラインなどに適しています。
そもそも可塑剤を必要としない素材(ポリエチレンやポリプロピレン)への転換も進んでいます。これらは「PO系」や「ポリオレフィン」と呼ばれ、可塑剤を含まないためブリードアウトの心配がなく、重量も軽いというメリットがあります。ただし、塩ビのような「しっとりとした使いやすい柔軟性」や「接着のしやすさ」では劣る場合があり、作業性とのバランスを考慮する必要があります。
資材カタログを見る際は、単に「強力」「長持ち」というキャッチコピーだけでなく、「非フタル酸」や「食品衛生法適合」、あるいは「耐ブリード性(移行しにくい)」といったキーワードに注目してください。特に直売所や契約栽培で、残留化学物質に対する厳しい基準を持つ取引先がいる場合、使用する資材の安全性証明は大きな信頼材料となります。
十川産業:各種ホースの耐薬品性や食品衛生法適合に関するカタログデータ

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