農作業中の熱中症対策として最も重要なのは、失われた水分と電解質を速やかに補給することです。市販の製品も優秀ですが、現場ですぐに作れる「自家製経口補水液」の知識は、農家にとって命を守るスキルとなります。基本となる200ml(コップ1杯分)の作り方は、非常にシンプルですが、その分量の正確さが効果を左右します。
基本の材料(200ml分)
この配合は、WHO(世界保健機関)が提唱する経口補水液の理論に基づきつつ、日本の家庭で作りやすい濃度に調整されたものです。具体的には、塩分濃度0.3%、糖分濃度2~4%を目指しています。なぜ塩だけでなく砂糖が必要なのか、その理由は腸管での「水分の吸収メカニズム」にあります。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC1434319/
腸が水分を吸収する際、ナトリウム(塩分)とブドウ糖(砂糖の分解物)が同時に存在することで、「SGLT1(ナトリウム・グルコース共輸送体)」というポンプのような機能が働きます。このポンプが作動すると、水が強力に体内に引き込まれるため、単なる水や塩水だけを飲むよりも、圧倒的に速く水分補給が可能になるのです。砂糖を減らしすぎるとこの吸収スピードが落ち、逆に多すぎると浸透圧が高くなりすぎて下痢のリスクが生じるため、この「水:塩:砂糖」の黄金比を守ることが極めて重要です。
参考)https://japsonline.com/admin/php/uploads/3678_pdf.pdf
特に農作業の現場では、計量スプーンがないことも多いでしょう。その場合、ペットボトルのキャップを活用するのも一つの手です。一般的なペットボトルのキャップ(すりきり)は、水なら約7.5ml、塩なら約6g入ります。つまり、キャップの1/10程度のほんの少量の塩が0.6gに相当します。感覚としては「指先でしっかりつまんだ量」と覚えると良いでしょう。
参考)【管理栄養士執筆】OS-1は手作りできる? 経口補水液の材料…
参考:厚生労働省 熱中症予防のための情報・資料サイト - 熱中症の基礎知識や予防法が詳しく解説されています。
なぜ「200ml」という単位での作成を推奨するのでしょうか。それは、農作業における休憩の推奨サイクルと、胃の消化吸収能力の観点から、200mlが最も理にかなった量だからです。
厚生労働省のガイドラインでは、高温多湿な環境下での作業において、20~30分ごとに休憩を取り、その都度水分補給を行うことが推奨されています。一度に大量の水(例えば500ml以上)を一気飲みすると、胃液が薄まり消化機能が低下したり、「水中毒(低ナトリウム血症)」を引き起こしたりするリスクがあります。また、胃の中に大量の液体が溜まると、前屈姿勢の多い農作業では不快感や逆流の原因にもなりかねません。
200ml(コップ1杯)のメリット
参考)手作り経口補水液
特にハウス栽培などの高温環境では、自覚症状がないまま脱水が進む「隠れ脱水」に陥りやすくなります。喉が渇いたと感じた時点で、すでに体内の水分の2%近くが失われていると言われています。そのため、「喉が渇く前に飲む」という予防的な給水には、負担なく飲み干せる200mlというサイズ感が、心理的にも身体的にもベストマッチなのです。
参考:農林水産省 農作業中の熱中症対策 - 農作業特有の環境リスクや具体的な対策事例が掲載されています。
基本の「水・塩・砂糖」だけの経口補水液は、正直なところ「薄い塩砂糖水」であり、あまり美味しくないと感じる人が多いのが実情です。しかし、飲みやすさは継続的な水分補給のカギとなります。そこで、農家の方にも馴染み深い食材を使ったアレンジレシピを紹介します。
参考)炎天下での農作業に注意! 塩のプロが作った『熱中対策水』に注…
1. レモン果汁でスッキリ飲みやすく
基本の200mlレシピに、レモン果汁小さじ1(約5ml)を加えます。
参考)簡単5分!家庭でできる経口補水液の作り方
レモンに含まれる「クエン酸」は、疲労回復効果が期待できるだけでなく、キレート作用によってミネラルの吸収をサポートします。また、レモンの酸味が砂糖の甘ったるさを中和し、後味がさっぱりするため、暑さで食欲がない時でもゴクゴク飲めるようになります。農家であれば、収穫した規格外の柑橘類を絞って加えるのも素晴らしい地産地消の対策です。
参考)手作り経口補水液 レモン果汁入り by おいしい健康 - 管…
2. 砂糖をはちみつに変える
砂糖10gの代わりに、はちみつ大さじ1/2~1(約10~20g)を使用します。
参考)経口補水液の作り方
はちみつはブドウ糖と果糖が主成分であり、体内ですぐにエネルギーに変換されるため、肉体労働である農作業のエネルギー補給にも最適です。また、はちみつには微量のミネラルが含まれており、風味も豊かになります。ただし、1歳未満の乳児にはボツリヌス症のリスクがあるため与えないでください。
参考)https://wellnessbliss.jp/blogs/enjoy-life/honey-water-benefits
3. 梅干しを使った「和風」経口補水液
塩の代わりに、梅干し(中サイズ)1個をちぎって入れます。
参考)https://allabout.co.jp/gm/gc/300869/
梅干しは塩分だけでなく、クエン酸やカリウムも豊富です。梅干しを水の中で崩しながら飲むことで、塩分濃度を調整できますし、叩いた梅肉と砂糖、水を混ぜれば、昔ながらの知恵が詰まった最強の熱中症対策ドリンクになります。特に汗を大量にかいた後は、梅干しの塩気が体に染み渡り、美味しく感じられるはずです。
これらのアレンジを加える際も、「糖分濃度」には注意してください。果汁やはちみつを入れすぎると糖分過多になり、逆に喉が渇いたり、吸収が遅くなったりする原因になります。あくまで「風味付け」程度に留めるのがポイントです。
参考)経口補水液の作り方!おすすめレシピ4パターン【管理栄養士作成…
「スポーツドリンクで代用してもいいのでは?」と考える方も多いですが、農作業中の深刻な発汗シーンにおいては、経口補水液とスポーツドリンクは明確に使い分ける必要があります。
成分の決定的な違い
| 特徴 | 経口補水液 | スポーツドリンク |
|---|---|---|
| 目的 | 脱水状態の治療・回復 | 運動時のエネルギー補給・予防 |
| 塩分(Na) | 多い(味噌汁に近い) | 少ない |
| 糖分 | 少ない(2%前後) | 多い(5~10%以上) |
| 吸収速度 | 非常に速い | やや速い |
一般的なスポーツドリンクは、美味しく飲むために糖分が多く(角砂糖10個分以上入っていることも)、塩分が控えめに作られています。日常の水分補給には適していますが、炎天下の農作業で大量の汗をかいた後にスポーツドリンクだけを飲むと、塩分(ナトリウム)が不足し、足がつったり、低ナトリウム血症で頭痛が起きたりする可能性があります。これを「自発的脱水」と呼び、体液の濃度を一定に保とうとして、体がそれ以上水を飲みたがらなくなり、脱水が悪化する現象です。
参考)https://www.maff.go.jp/j/press/nousan/sizai/attach/pdf/250630-1.pdf
経口補水液は「飲む点滴」
経口補水液は、脱水時の体液に近い電解質バランスで作られており、小腸での吸収速度が最大化されるように設計されています。そのため、すでに頭痛やめまいがする、足がつる、尿の色が濃いといった脱水のサインが出ている場合は、迷わず経口補水液を選んでください。
参考)いざというときのために知っておきたい!家庭で作れるカンタン経…
逆に、まだ元気な時の予防的な水分補給や、昼食時の飲み物としては、糖分補給も兼ねられるスポーツドリンクを水で半分に薄め、ひとつまみの塩を加えたもの(ハイポトニック飲料化)も有効です。状況に応じてこれらを飲み分ける「リテラシー」を持つことが、過酷な夏場の農業を乗り切る秘訣です。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC8204373/
参考:大塚製薬工場 OS-1 よくあるご質問 - 経口補水液とスポーツドリンクの違いや摂取タイミングについて専門的な回答があります。
広大な畑やビニールハウスの奥で作業している際、わざわざ母屋まで戻って経口補水液を作るのは現実的ではありません。そこで提案したいのが、現場で水を注ぐだけで完成する「自家製・経口補水液の素(もと)」を持ち歩くテクニックです。
準備するもの(1回分)
参考)超簡単!! 経口補水液の作り方
これらを「熱中症対策セット」として作業着のポケットや軽トラのダッシュボードに常備しておきます。水は現場の水道水や、持参した大きな水筒の冷水を使います。
現場での作成手順
この方法の最大のメリットは、「作るたびに新鮮」であることです。砂糖と塩を溶かした水溶液は非常に腐敗しやすく、作り置きして常温で持ち歩くと、半日で雑菌だらけになります。しかし、粉末の状態であれば保存がきき、飲む直前に混ぜるため衛生的です。
さらに一工夫:こだわりの塩を使う
どうせ手作りするなら、使用する「塩」にもこだわってみましょう。精製された食塩(塩化ナトリウム99%)よりも、「雪塩」や「ぬちまーす」といったミネラル豊富な天然塩を使用することをおすすめします。これらはマグネシウムやカリウムを含んでおり、筋肉の痙攣(こむら返り)予防にも効果が期待できます。特に雪塩はパウダー状で冷水にも溶けやすいため、現場での即席作成に最適です。
参考)【減塩したい人はこれ!】塩選びの極意!ぬちまーすと雪塩の違い…
農作業は身体が資本です。「たかが水」と侮らず、自分の体を守るための「機能的な水」を、自分の手で作る。この習慣が、猛暑の中でも安全に、そして長く農業を続けるための大きな武器となるはずです。