夏のハウス作業や炎天下での収穫作業において、農業従事者は常に脱水のリスクと隣り合わせです。実は、私たちが普段扱っている「液肥の濃度計算」や「根の吸水メカニズム」は、医療現場における「点滴(輸液)」や「血液検査」の考え方と驚くほど似ています。植物が浸透圧の差で水を吸うように、人間の体も浸透圧によって細胞の水分バランスを維持しています。ここでは、医療現場で実際に使われている厳密な計算式を紐解きながら、農業従事者が知っておくべき「体液管理」の科学について深掘りしていきます。
医療の世界では、血液(正確には血漿)の浸透圧を計算する際に、特定の公式を使用します。これは、患者さんが脱水状態にあるのか、それとも水中毒のような状態にあるのかを判断するための極めて重要な指標です。基本となる計算式は以下の通りです。
予測浸透圧(mOsm/L)=2×Na+2.8BUN+18血糖値
この式を見ると、いくつかの専門用語が並んでいますが、要素はたった3つです。「ナトリウム(Na)」、「尿素窒素(BUN)」、「血糖値(BS)」です 。
参考)【血漿浸透圧の求め方】計算式と基準値の覚え方・ゴロ【CBT国…
健康な人の血漿浸透圧の基準値は、およそ 285 ± 5 mOsm/L (ミリオスモル・パー・リットル)の範囲に収まります 。この数値は、生理食塩水(0.9% NaCl溶液)の浸透圧とほぼ同じです。医療現場では、この数値を基準にして、患者さんに投与する輸液が「等張液」か「低張液」かを判断します 。
参考)http://hospi.sakura.ne.jp/wp/wp-content/themes/generalist/img/medical/jhn-cq-nerima-210131.pdf
もし、この数値が300を超えてくると、体は高度な脱水状態(高張性脱水)にある可能性が高まります。逆に数値が低すぎると、水中毒(低ナトリウム血症)のリスクがあります。農業の現場で言えば、土壌のEC値(電気伝導度)が高すぎて根が水を吸えなくなる状態と、EC値が低すぎて肥料不足になる状態の違いに似ています。私たちの体も、この「285」という数値を維持するために、喉の渇きを感じさせたり、尿を濃くしたりして調整しています 。
参考)https://ocw.kyoto-u.ac.jp/wp-content/uploads/2012/04/2012_doubutsukankyouseirigaku_07.pdf
血漿の浸透圧に関する詳細な解説(日本血液製剤協会)
リンク先では、血漿浸透圧がどのように一定に保たれているか、アルブミンの役割(膠質浸透圧)と合わせて解説されています。
浸透圧の計算式を理解したところで、次に重要なのが「水がどう動くか」という物理法則です。これは農業における「肥焼け(濃度障害)」と全く同じ原理です。
水は、浸透圧の低い方(薄い方)から高い方(濃い方)へ移動する性質があります 。
参考)https://kango-oshigoto.jp/hatenurse/article/1140/
人間の体において、細胞の内側と外側(細胞外液=血漿や間質液)は細胞膜で隔てられています。
汗をかいて水分だけが失われると、血液中のナトリウム濃度が相対的に高くなります(計算式の「2×Na」の部分が増大)。すると、血液の方が「濃い」状態になるため、細胞の中から水が吸い出されてしまいます。これが脳の細胞で起きると意識障害などの重篤な症状につながります。農業で言えば、土壌の肥料濃度が高すぎて、植物の根から水分が奪われ、作物が萎れてしまう現象と同じです 。
逆に、真水ばかりを大量に飲むと、血液が薄まります。すると、相対的に濃い細胞の中へ水が流れ込みます。細胞が水ぶくれ状態になり、これもまた危険な状態です。
この水移動を防ぐために、医療現場では「等張液」と呼ばれる輸液を使います。生理食塩水がその代表で、Na濃度が154mEq/Lあり、これを2倍すると308mOsm/Lとなり、血液の浸透圧に近い値になります 。
農作業中に「ただの水」ではなく「塩分を含んだもの」を飲むべき理由はここにあります。大量発汗時に真水だけを飲むと、血液の浸透圧が一気に下がり、体は「これ以上血液を薄めてはいけない」と判断して、逆に尿として水を排出しようとします(自発的脱水)。その結果、喉の渇きは止まるのに脱水は進むという危険な状態に陥ります 。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/naika/111/5/111_902/_pdf
輸液の単位と浸透圧の基本(大塚製薬工場)
リンク先では、mOsm/Lという単位の成り立ちや、輸液製剤ごとの具体的な浸透圧比が図解入りで説明されています。
前述の計算式 2Na + BUN/2.8 + BS/18 をもう一度見てみましょう。この式から、浸透圧に対する貢献度が最も高い成分が何かわかりますか?
圧倒的に「ナトリウム(Na)」です。
例えば、標準的な血液検査値を当てはめてみましょう。
これを計算すると。
ここからは少し視点を変えて、農業従事者ならではの感覚で医療の数値を捉え直してみましょう。
農業では土壌や養液の濃度管理に EC(電気伝導度) を使います。単位は dS/m(デシジーメンス)や mS/cm が一般的です。一方、医療では 浸透圧(mOsm/L) を使います。実はこの2つ、測定している対象の本質は非常に似ています。
およその換算ですが、農業用の養液栽培において、EC 1.0 dS/m は 約10 meq/L の濃度に相当すると言われることがあります(成分によります)。生理食塩水のNa濃度は154 mEq/Lですので、これを農業用の感覚で見ると「とてつもなく高濃度」であることがわかります。
植物の耐塩性は種類によりますが、多くの作物はEC 2.0〜3.0を超えると吸水阻害(浸透圧ストレス)を受け始めます 。これは浸透圧で言うと約 70〜100 mOsm/L 程度の圧力に相当する場合があります(※係数は肥料設計による)。
参考)https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010650990.pdf
一方、人間の血液は 285 mOsm/L という、植物なら即座に枯れてしまうような高い浸透圧で常に維持されています。これは人間が海で生命を育んだ名残であり、細胞がその圧力に耐えられる構造(細胞壁ではなく細胞膜での能動的な調整)を持っているからです 。
しかし、共通点もあります。「急激な変化に弱い」という点です。
「徐々に慣らす」「濃度を一定に保つ」という管理の基本は、植物も人間も全く同じなのです。
肥料の基礎知識と浸透圧(アグリテクノ)
リンク先では、肥料成分が土壌水に溶けた際の浸透圧と根の吸収メカニズムについて、農業の視点から解説されています。
最後に、医療の浸透圧計算の知識を応用して、農作業中の最強のパートナーとなる「経口補水液」を自作してみましょう。市販のスポーツドリンクは美味しいですが、糖分が多く(浸透圧が高くなりすぎる原因)、塩分が少なすぎる傾向があります。
医療的な理想値(285 mOsm/L付近、あるいは吸収を早めるためにやや低め)を目指すための「農家のためのレシピ」は以下の通りです。
【理論値に基づいた自家製経口補水液(1リットル分)】
参考)塩分と脱水 ~経口補水液の作り方~
参考)超簡単!! 経口補水液の作り方
計算式による検証:
この約220 mOsm/Lという数値は、血液(285)よりも低い「低張液」です。実は、脱水時には等張液よりも、やや浸透圧が低い飲み物の方が、胃から腸への移動がスムーズで、水分の吸収効率が良いという研究もあります。
逆に、砂糖を入れすぎて甘くしすぎると、浸透圧が高くなりすぎて(高張液)、飲んだ後に胃もたれしたり、かえって喉が渇いたりする現象が起きます。
「塩ひとつまみ」という感覚ではなく、「Na濃度と糖濃度の計算」に基づいてドリンクを作る。これこそが、医療の知見を活かしたプロの農業従事者の体調管理術です。今年の夏は、ぜひ計算機を片手に、自分の体に最適な「配合」を見つけてみてください。