子牛の下痢や肺炎、あるいは母牛の起立不能など、畜産現場において輸液(点滴)は日常的な医療行為の一部です。しかし、「なんとなくリンゲル液を使っている」「獣医師に言われた通りの速度で落としているが、理論は曖昧だ」というケースも少なくありません。輸液製剤には大きく分けて「細胞外液補充液」と「維持液」の2種類が存在し、これらを病態に合わせて厳密に使い分けることが、治療成績(予後)を大きく左右します。特に子牛の重篤な下痢においては、単なる水分補給だけでなく、失われた電解質の補正とアシドーシス(血液の酸性化)の改善が生命を救う鍵となります。本記事では、現場ですぐに役立つ輸液の理論と実践的なテクニックについて解説します。
輸液製剤を選ぶ際、最も基本的かつ重要なのが「細胞外液補充液」と「維持液」の違いを理解することです。この二つは組成が全く異なり、使用目的を間違えると逆に牛の状態を悪化させる危険性があります。特に、急速に水分を補給しなければならないショック状態の牛に「維持液」を急速投与することは禁忌(やってはいけないこと)とされています。
細胞外液補充液(等張電解質輸液)
これは、血液中の血漿(けっしょう)や組織間液といった「細胞の外にある液体」とほぼ同じ電解質組成で作られている製剤です。ナトリウム濃度が約130~140mEq/Lと高く設定されており、血管内に水分を留め、循環血液量を維持する力が強いのが特徴です。
維持液(低張電解質輸液)
こちらは、動物が1日に必要とする水分と電解質を補給するために設計された製剤です。ナトリウム濃度が細胞外液補充液よりも低く(例えば1号液など)、その分、細胞内液の主成分であるカリウムなどが含まれていたり、水分補給のためにブドウ糖が含まれていたりします。
| 項目 | 細胞外液補充液 | 維持液(例:3号液) |
|---|---|---|
| Na濃度 | 130-154 mEq/L | 30-60 mEq/L |
| K濃度 | 4 mEq/L 前後 | 20 mEq/L 前後 |
| 浸透圧比 | 約 1.0(等張) | 約 1.0(等張だが体内では低張になる) |
| 主な用途 | 急性脱水、ショック、アシドーシス補正 | 水分維持、絶食時の補給 |
| 急速投与 | 可能 | 禁忌(不可) |
このように、子牛が下痢でぐったりしており、脱水症状が見られる場合は、まずは「細胞外液補充液」を選択して循環を回復させることが第一選択となります。維持液は、状態が落ち着いてから、ゆっくりと点滴をつなぐ場合に用います。
参考リンク:【輸液の種類】細胞外液補充液と維持液類の特徴 - 細胞外液補充液と維持液(1号〜4号)の詳しい組成の違いや使い分けについて、医療従事者向けに詳細に解説されています。
適切な輸液剤を選んだら、次は「どれくらいの量を」「どれくらいの速度で」入れるかを計算する必要があります。これには、牛の「脱水率」を正確に評価する技術が求められます。脱水率は、外見上の所見からおおよそ5%〜10%以上の範囲で判定します。
脱水率の判定基準
輸液量の計算式
必要な輸液量は、「既に失われた水分量(脱水補正量)」と「これから失われる水分量(維持量+継続損失量)」の合計で考えますが、緊急時はまず「脱水補正量」を計算します。
必要輸液量(L)=体重(kg)×脱水率(%)÷100
例えば、体重50kgの子牛が8%の脱水(眼球陥没あり、皮膚の戻りが遅い)を起こしている場合。
50(kg)×0.08=4.0(L)
つまり、4リットルの輸液が不足している状態です。これを半日〜1日かけて補正しますが、最初の1〜2時間は急速に投与して循環を回復させる必要があります。
点滴速度の目安
子牛の下痢で最も警戒すべき病態生理学的変化が「代謝性アシドーシス」です。下痢便中には多量の「重炭酸イオン(HCO3-)」が含まれており、これが体外に排出されることで、血液のpHバランスが酸性に傾きます(アシドーシス)。
アシドーシスが進行すると、以下のような症状が現れます。
輸液剤の使い分け:乳酸、酢酸、重炭酸
アシドーシスを補正するためには、アルカリ化剤を含む輸液が必要です。ここで「種類」の使い分けが重要になります。
最も一般的ですが、乳酸が肝臓で代謝されて重炭酸に変わることで効果を発揮します。したがって、重度の脱水で肝臓への血流が落ちている場合や、肝機能障害がある牛では、乳酸が代謝されず効果が不十分になる、あるいは乳酸自体が蓄積するリスクがあります。
酢酸は肝臓だけでなく筋肉など全身で代謝されるため、肝機能が低下している牛やショック状態の牛でも速やかにアルカリ化効果を発揮します。乳酸リンゲルより即効性があり、冷えている牛にも使いやすい製剤です。
ここが最重要ポイントです。 重度の下痢(白痢など)で強いアシドーシスに陥っている場合、乳酸や酢酸の代謝を待っていては間に合わない、あるいは補正力が足りないことがあります。この場合、直接的に重炭酸イオンを含んでいる「重炭酸リンゲル液」や、生理食塩液に7%重曹(メイロン等)を添加した輸液が特効薬となります。
参考リンク:輸液の種類と選択 - 細胞内液と外液の組成の違いや、アシドーシスなどの病態に応じた輸液剤の選択理論について、図解を用いて専門的に解説されています。
点滴は強力な治療法ですが、血管確保の手間やコスト、感染リスク(カテーテル留置による血栓性静脈炎など)を考慮すると、可能な限り早期に「経口補液」へ移行、あるいは併用することが望ましいです。この「使い分け」と「移行期」の管理は、回復のスピードを左右します。
経口補水液(電解質製剤)の活用
軽度(5%未満)の脱水であれば、点滴を行わずとも、高品質な経口補水液を飲ませるだけで回復することが多いです。しかし、中等度以上の脱水では、点滴で循環を回復させながら、腸管からの吸収能力が戻るのを待って経口投与を併用します。
独自視点:腸管の「吸収スイッチ」を入れる
長時間の絶食や点滴のみの管理が続くと、腸の絨毛(じゅうもう)が萎縮し、栄養や水分の吸収能力が低下してしまいます。これを防ぐため、点滴中であっても、少量でもよいので経口補水液や、消化の良いスターターを与え、腸管を動かすことが重要です。
ミルクとの兼ね合い
昔は「下痢をしたらミルクを切る(絶食)」が常識でしたが、現在は「エネルギー不足を防ぐためミルクは切らない、または早期に再開する」が主流です。ただし、重炭酸を含む経口補水液とミルクを同時に与えると、胃の中でミルクが凝固しにくくなる(レンネット凝固阻害)可能性があるため、ミルクと電解質液の間隔は2時間以上あける、または酢酸ベースの電解質液を使用するなどの「種類の使い分け」も必要です。
参考リンク:経口補液剤の違い - 経口補液に含まれるアルカリ化剤(重曹など)が第4胃のpHやミルクの凝固に与える影響、そして酢酸・クエン酸系製剤との使い分けについて解説されています。
冬場の輸液において見落とされがちなのが「輸液剤の温度」です。特に寒冷地では、保管していた輸液バッグが5℃近くまで冷え切っていることがあります。これをそのまま血管内に急速投与すると、深部体温が急激に低下し、致命的な不整脈やショック状態を誘発する恐れがあります。
加温の重要性
子牛は成牛に比べて体重あたりの表面積が大きく、体温調節能力が未熟です。脱水状態の子牛はただでさえ末梢循環不全で体温が低下しています。そこに冷たい輸液を入れることは、内側から体を冷やす行為に他なりません。
事故防止と針の管理
輸液の種類選びと同様に重要なのが、物理的な事故防止です。
適切な「種類」を選び、正しい「計算」で量を決め、確実な「管理」で投与する。この3つが揃って初めて、輸液療法は最大の効果を発揮します。

薬局2025年76巻9月増刊号(No.11)薬剤師のためのいちばんやさしい輸液管理の本 (薬局2025年9月増刊号 Vol.76 No.11)