農業の現場では効果の高い農薬を使用する機会が多々ありますが、その中には「医薬用外劇物」に指定されているものが含まれています。これらは通常の農薬とは異なり、毒物及び劇物取締法という非常に厳しい法律によって管理が規制されています。まず、最も基本的かつ重要なのが「表示義務」です。あなたが普段使用している薬剤のボトルや袋をよく確認してください。
医薬用外劇物に指定されている容器や包装には、以下の表示が義務付けられています。
特に視覚的な識別として重要なのが、「医薬用外」の文字です。法律では、「医薬用外」の文字を赤色で記載し、その周囲を赤枠で囲むこと、あるいは「医薬用外」の文字を白色で記載し、その周囲を赤色で塗りつぶすこと(赤地に白文字)などが定められています。さらに、「劇物」の文字についても、赤色で明瞭に記載する必要があります。これに対して「毒物」の場合は、黒地に白文字で「毒物」と記載するため、視覚的に即座に区別できるようになっています。
厚生労働省の解説ページには、これらの表示に関する詳細な規定や、容器への記載例が掲載されています。
厚生労働省:毒物及び劇物取締法 - 表示や取り扱いの詳細なルールについて
もし、長期間保管していてラベルが剥がれてしまったり、文字が薄れて読めなくなったりしている容器がある場合、それは法令違反の状態になるリスクがあります。中身が何であるか不明確な状態は誤使用の元であり、大変危険です。農業従事者は、購入した製品のラベルが常に読み取れる状態を維持する責任があります。また、小分けにして別の容器に移し替えることは、誤飲や誤用の最大原因となるため、原則として避けるべきですが、やむを得ず専用の散布器具などに移す場合は、その容器にも同様の法的表示を行う必要があります。飲料のペットボトルなどに移し替えることは、家族や第三者の誤飲事故に直結するため、絶対に行ってはいけません。
医薬用外劇物を農薬庫で保管する際、ただ棚に置いておくだけでは不十分です。法律では「毒物又は劇物を貯蔵し、又は陳列する場所は、その他の物を貯蔵し、又は陳列する場所と明確に区分されたものでなければならない」と定められています。つまり、一般の農薬や肥料、あるいは農機具と混在させて保管することは許されません。
保管設備に関しては、以下の基準を満たす必要があります。
保管庫は簡単に破壊されたり、動かせたりするような簡易なものではいけません。コンクリート基礎に固定された倉庫や、容易に持ち出せない重量のある専用保管庫が推奨されます。
これが最も重要です。「鍵」がかかることが絶対条件です。南京錠やシリンダー錠など、確実にロックできる設備が必要です。農作業中であっても、使用していない時は常に施錠しておく習慣が求められます。
保管庫の扉や外壁の見えやすい場所に、「医薬用外劇物」という文字を表示しなければなりません。これは、万が一の火災や事故の際、消防隊や第三者が危険物の存在を認識するためにも不可欠です。
具体的な管理対策として、在庫管理簿の作成を強く推奨します。いつ、どれだけ使用し、現在どれだけ残っているかを記録することで、万が一盗難や紛失が発生した際にすぐに気づくことができます。過去には、農家から盗まれた劇物が犯罪に使われたケースもあり、管理者の責任が問われる事態にもなりかねません。
また、保管場所は子供の手が届かない場所に設置することも重要です。農家の敷地内では子供が遊ぶこともありますが、誤って保管庫に触れたり、中に入ったりできないよう配慮する必要があります。
日本化学工業協会では、具体的な保管管理のガイドラインや事故事例を紹介しており、非常に参考になります。
日本化学工業協会:毒物劇物の安全管理 - 盗難防止と保管設備の基準
地震や台風などの自然災害への対策も忘れてはいけません。棚から容器が落下して破損し、劇物が流出すると、土壌汚染や地下水汚染を引き起こす可能性があります。棚には落下防止のバーを設置し、液体と粉体を分けて保管するなど、物理的な安全対策も講じてください。
医薬用外劇物に指定されている農薬を購入する際、「面倒だな」と感じたことがあるかもしれません。しかし、これは法律で定められた厳格な手続きです。購入時には、販売店(JAや農薬販売店など)に対して「譲受書(ゆずりうけしょ)」を提出する義務があります。
譲受書には以下の項目の記入が必須です。
この書類は、販売者が5年間保存する義務があり、警察や保健所の立ち入り検査の際に確認されます。したがって、「顔なじみだから」といって書類なしで販売してくれる店はありませんし、もしそのような店があれば、その店自体が法律違反を犯していることになります。
また、販売者は購入者の身元確認を行う義務もあります。初めて購入する場合などは、運転免許証などの身分証明書の提示を求められることがあります。これは、劇物が犯罪や自殺などの不適切な目的で使用されるのを防ぐための水際対策です。
インターネットで農薬を購入する場合でも、このルールは変わりません。郵送で譲受書をやり取りするか、電子署名を用いた手続きが必要になります。手軽に買えるからといって、身元確認や譲受書のやり取りが曖昧なサイトから購入するのは避けてください。正規のルート以外で入手した劇物は、品質が保証されていないだけでなく、万が一の事故の際にメーカーのサポートも受けられません。
18歳未満の者への販売は法律で禁止されています。農業高校生が実習で使用する場合でも、購入手続きは教員や保護者が行う必要があります。また、心身に障害があり安全な取り扱いが困難と判断される場合や、麻薬中毒者などへの販売も禁止されています。販売店が「怪しい」と判断した場合は、販売を拒否されることがありますが、これは社会の安全を守るための正当な判断です。
ここまで説明した表示義務、保管基準、譲受手続きなどは、すべて法的拘束力があります。これらに違反した場合、あるいは不適切な管理によって事故を引き起こした場合、農業従事者であっても処罰の対象となります。
主な罰則は以下の通りです(状況により適用条文が異なります)。
30万円以下の罰金などが科される可能性があります。特に、盗難や紛失が発生した際に警察への届け出を怠ると、さらに責任が重くなります。
容器への表示を怠ったり、偽った表示を行ったりした場合、50万円以下の罰金などが科される可能性があります。
管理不十分により、家族や従業員、第三者が劇物に触れて死傷した場合、刑法の業務上過失致死傷罪に問われる可能性があり、5年以下の懲役もしくは禁錮、または100万円以下の罰金となります。
罰則だけでなく、社会的信用の失墜も大きなリスクです。もしあなたの農場から劇物が流出し、近隣の河川で魚が大量死したり、近隣住民に健康被害が出たりした場合、損害賠償請求は莫大な額になる可能性があります。地域での営農が続けられなくなるケースも考えられます。
事故のリスクとして特に注意すべきなのが「希釈液の誤飲」です。ペットボトルや空き缶に一時的に作った希釈液を放置し、それを自分自身や家族が誤って飲んでしまう事故が後を絶ちません。作業中は希釈液から目を離さず、残った液はその日のうちに適切に処理し、絶対に放置しないでください。
また、万が一劇物を飲み込んでしまった場合や、皮膚にかかってしまった場合の応急処置についても、事前に製品の安全データシート(SDS)を確認しておく必要があります。
農薬工業会:農薬の安全使用 - 事故防止のためのガイドライン
農薬工業会のサイトでは、具体的な事故事例や、マスク・手袋などの保護具の正しい選び方が紹介されています。自分自身の健康を守るためにも、法律を守ることは最低限のラインであり、それ以上の安全配慮がプロの農業者には求められます。
最後に、多くの農家が頭を悩ませている「廃棄」の問題について触れます。納屋の奥から、親や祖父母の代に購入した古い農薬が出てくることは珍しくありません。ラベルがボロボロで読めない、瓶が変色している、といった医薬用外劇物の処分はどうすればよいのでしょうか。
まず大原則として、劇物は一般ゴミとして出してはいけません。また、庭や畑に穴を掘って埋めたり、水路に流したりすることも「廃棄物の処理及び清掃に関する法律(廃掃法)」違反となり、5年以下の懲役もしくは1,000万円以下の罰金という非常に重い刑罰の対象となります。環境汚染を引き起こす犯罪行為です。
医薬用外劇物の廃棄手順は以下の通りです。
農作業で生じた廃農薬は「産業廃棄物」に分類されます。都道府県知事の許可を受けた産業廃棄物処理業者に委託し、マニフェスト(産業廃棄物管理票)を交付してもらう必要があります。
地域によっては、JAや自治体が主体となって、不要農薬の回収を行っている場合があります。コストが割安になることも多いので、地元の広報誌やJAの案内をチェックしましょう。
ラベルが剥がれて中身がわからない場合、処理業者が引き受けを拒否することもあります。この場合は、分析機関に依頼して成分を特定するか、特殊な処理が可能な専門業者を探す必要があります。「中身がわからないから」といって放置するのが一番危険です。容器が劣化して中身が漏れ出す前に、専門家に相談してください。
特に古い農薬の中には、現在では製造・使用が禁止されているもの(DDTやBHCなど)が含まれている可能性があります。これらは特に厳重な管理が必要ですので、発見した場合は速やかに管轄の保健所や農業改良普及センターに相談してください。
「使い切る」ことが基本ですが、どうしても余ってしまった場合や、有効期限が切れてしまった場合は、もったいないと思わずに適正に処分することが、将来の事故を防ぐ投資になります。処分費用はかかりますが、事故が起きた時の賠償額に比べれば微々たるものです。
あなたの倉庫に「開かずの段ボール」はありませんか?その中に、管理されていない劇物が眠っているかもしれません。今一度、倉庫の総点検を行い、不要な劇物はルールの則って処分しましょう。