植物の成長において、茎の先端にある生長点は、通常は葉や茎を作る「葉芽」として機能していますが、特定の環境条件が整うことで「花芽」へと劇的な変化を遂げます。この転換点こそが花芽分化であり、植物が栄養成長から生殖成長へとシフトする決定的な瞬間です。いちごの場合、このスイッチが入る主な要因は「低温」「短日(日長が短くなること)」「低窒素(体内の窒素濃度低下)」の3つが複雑に絡み合っています。
参考)花芽分化と生長点の役割とは?初心者向け解説!
特に重要かつ見落とされがちなのが、生長点の細胞分裂パターンの変化です。通常、葉芽を作る際の生長点は円錐状や三角形に近い形状をしていますが、花芽への分化が始まると、その先端が平らになり、急激に細胞分裂が活発化してドーム状に盛り上がってきます。この物理的な形状変化は、植物ホルモンであるフロリゲン(花成ホルモン)が葉で作られ、師管を通って生長点に到達することで引き起こされると言われています。農業現場では、この目に見えないホルモンの働きを、顕微鏡を使った形状観察によって可視化し、栽培管理の基準として利用しています。
参考)https://www.mdpi.com/1422-0067/23/18/10959/pdf?version=1663586751
花芽分化の進行度は、一般的に「ステージ0」から「ステージ5」程度の段階に分類され、それぞれの形状変化によって厳密に定義されています。
興味深い事実として、一般的な環境下では「1ステージ進むのにおよそ3日かかる」という経験則があります。つまり、ステージ2で定植するかステージ4で定植するかによって、収穫開始時期が1週間近くズレる計算になり、この数日の差が市場価格の高いクリスマス需要期に間に合うかどうかを決定づけるのです。
正確なステージ判定には、実体顕微鏡(倍率20~40倍程度)を用いた「検鏡」が不可欠です。肉眼では決して見えない生長点の変化を確認するため、非常に繊細な作業が求められます。
参考)一枚、二枚、三枚・・・>イチゴ花芽検鏡 | 営農日記 - J…
検鏡の手順は以下の通りです。
特に注意すべきは「肥厚初期」の判定です。単に生長点が大きいだけの未分化状態を「肥厚」と誤診してしまうと、定植後に花芽がつかないトラブルに見舞われます。判断に迷う場合は、さらに数日待ってステージ2(ドーム形成)が確認できてから定植決定をするのが安全策と言えるでしょう。
参考)https://www.pref.tochigi.lg.jp/g58/seisangizyutsu/documents/itijiikubyoukannri.pdf
定植のタイミングは、早すぎても遅すぎてもリスクがあります。最適なステージで定植することは、その後の収量と品質を保証する最大の保険です。
参考:北陸特有の環境条件に即した野菜安定生産技術の開発(農研機構)
上記の資料では、育苗日数が長く花芽分化が進んでいるほど年内開花株率が高い傾向が示されていますが、同時に過度な老化苗のリスクも示唆されています。
参考)https://www.naro.go.jp/publicity_report/publication/archive/files/narc_fa011.pdf
定植が早すぎる場合(未分化~ステージ1前半):
植物はまだ「体を作るモード(栄養成長)」にあるため、定植後の水や肥料に反応して葉やランナーばかりが茂り、肝心の花が出てこない「花飛び」現象が起きます。これにより収穫開始が1ヶ月近く遅れることもあり、経営的な打撃は計り知れません。
定植が遅すぎる場合(ステージ4~5以降):
すでに蕾が完成に近い状態で植えられるため、根が十分に張る前に花が咲き始めます。すると、植物体に体力がついていないため、「ドカンなり(極端に草丈が低く、果実が地面につくような状態)」になりやすく、果実も小玉になりがちです。また、定植作業時のストレスで蕾が傷むリスクも高まります。
参考)(2)いちごの生育ステージ③花芽分化要因〜花芽分化期〜|株式…
一般的には、確実に分化が確認でき、かつ根の活着に必要な期間を確保できる「ステージ2(肥厚中期・二分期)」から「ステージ3(ガク片形成期)」での定植がベストプラクティスとされています。ただし、品種(早生・晩生)や栽培方式(土耕・高設)によって微調整が必要であり、例えば「とちおとめ」などの品種では定植の遅れが初期収量に大きく響くため、シビアな管理が求められます。
花芽分化は自然環境任せにするだけでなく、人為的にコントロールすることが可能です。その中でも、プロ農家が駆使する高度な技術が「窒素中断(窒素切り)」です。
植物体内の窒素濃度が高い状態(栄養過多)では、植物は「まだ体を大きくできる」と判断し、花芽分化のスイッチが入りにくくなります。そこで、定植予定日の約1ヶ月前から液肥や追肥をストップし、強制的に植物を「飢餓状態」に近づけることで、子孫を残そうとする生存本能(生殖成長への移行)を刺激します。
参考)https://www.pref.mie.lg.jp/common/content/000396766.pdf
窒素コントロールのポイント:
また、近年では夜冷育苗(夜間の温度を下げて短日・低温を擬似的に作り出す技術)と窒素中断を組み合わせることで、自然条件よりも2週間以上早く花芽分化を完了させる技術も確立されています。このように、ステージ診断の結果を見ながら、窒素と温度という「アクセルとブレーキ」を使いこなすことが、狙った時期に最高品質の作物を収穫するための究極のテクニックなのです。
参考)https://jgha.com/wp-content/uploads/2020/04/31bessatsu2.pdf