亀岡盆地は鮮新世から更新世(約500万年前から約1万年前)にかけて、標高約280mほどの巨大なダム湖であったことが地質学的に確認されています。この古代湖は、近畿地方を沈降させる地殻変動によって形成され、亀岡活断層を境に北東側が隆起し、南西側が沈降することで盆地が生まれました。湖水は現在よりも狭い保津峡を通って京都方面へと流出していたとされています。
参考)亀岡盆地 - Wikipedia
盆地周辺の山々には段丘地形が明瞭に残っており、かつての湖の水位を示す重要な証拠となっています。これらの段丘面は数十万年から数万年前の古い時代の川や湖の働きで積もった地層で構成されており、地質図では約7万年前から約1万年前までの堆積層が古亀岡湖に堆積したものとして確認されています。現在の盆地中央部の平坦地は、保津川が運んだ土砂が1万年から数千年前に積もってできたもので、170万年以上前にできた固い岩盤の上に新しい土砂が堆積しています。
参考)丹の湖~亀岡盆地は湖だった!!
盆地の地質は秩父丹波古生層と呼ばれる基盤岩を中心に、砂礫層や粘土層からなる洪積層・沖積層で覆われています。この複雑な地質構造は、亀岡盆地が長い年月をかけて何度も湖や沼地になる時代を繰り返してきたことを物語っています。
参考)https://www.kyototuu.jp/Geography/BasinKameyama.html
亀岡盆地には「丹の湖(にのうみ)」または「丹の海」と呼ばれる赤土の泥湖があったという伝承が各地の神社に残されています。この「丹」という名称は朱色を意味し、湖に風が吹くと赤土の波が立った様子から付けられたとされ、「丹波」という地名の語源になったという説もあります。
参考)https://www.facebook.com/hozugawakudari/videos/%E5%A4%AA%E5%8F%A4%E3%81%AE%E3%82%80%E3%81%8B%E3%81%97%E4%BA%80%E5%B2%A1%E7%9B%86%E5%9C%B0%E3%81%AF%E8%B5%A4%E5%9C%9F%E3%81%AE%E6%B3%A5%E6%B9%96%E3%81%A7%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%84%E3%82%8F%E3%82%8C%E4%B8%B9%E3%81%AE%E6%B9%96%E3%81%A8%E7%A7%B0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E4%B8%B9%E3%81%AF%E6%9C%B1%E8%89%B2%E3%82%92%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%97%E4%B8%B9%E3%81%AE%E6%B9%96%E3%81%AB%E9%A2%A8%E3%81%8C%E5%90%B9%E3%81%8F%E3%81%A8%E6%B3%A2%E3%81%8C%E7%AB%8B%E3%81%A4%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%93%E3%81%AE%E5%9C%B0%E3%82%92%E4%B8%B9%E6%B3%A2%E3%81%A8%E5%90%8D%E4%BB%98%E3%81%91%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%81%A8%E4%BC%9D%E3%82%8F%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99/2877399285678251/
この湖を開拓したのが大国主命(大己貴命)であるという蹴裂伝説が、亀岡盆地周辺の複数の神社で伝えられています。伝説によると、大国主命が保津峡を開削して湖の水を抜き、この地を肥沃な盆地に変えたとされています。特に出雲大神宮や大井神社などでこの伝承が残っており、大井神社は湖の水が乾いて残った「大いなる井戸」が由来とされ、現在も境内に「丹の池」として当時の痕跡が残っています。
参考)【#025】京都府亀岡市の旅!古代の丹波の中心は紅葉がとても…
ただし、この蹴裂伝説は有力な文献がほとんど残っておらず、各社の社伝や口伝に依るところが大きいため、地元の郷土史研究でもあまり取り上げられていないという課題があります。それでも、この伝承が亀岡盆地の成り立ちを説明する重要な文化的資産として受け継がれてきたことは確かです。
参考)https://www.kyototuu.jp/Life/LegendKameokaShinpi.html
亀岡湖伝説の詳細な研究については、京都府埋蔵文化財調査研究センターの論文に詳しく記載されています
現在の亀岡盆地は、晩秋から初春にかけて「丹波霧」と呼ばれる深い霧が発生する地域として有名です。この霧の発生は、亀岡盆地がかつて湖であったという地形的特徴と密接に関係しています。亀岡盆地は標高400~900メートル級の山々に四方を囲まれた地形であり、冷気が溜まりやすい構造になっています。
参考)『かめおか霧のテラス(亀岡市)』編|京都知新ジャーニー
丹波霧が発生しやすい理由は複数あります。まず、この時期の昼夜の気温差が大きく、盆地地形のため冷たい空気が地表に溜まりやすいこと、そして保津川から豊富な水蒸気が供給されることが挙げられます。また、日本海側から風が吹き込んでも愛宕山が風を遮ってくれるため、空気の流れが緩やかになり、一度発生した霧が盆地内に何時間も留まります。
この霧は雲海を形成し、周囲の山々から眺めると幻想的な風景を作り出します。「かめおか霧のテラス」などの展望スポットからは、特に朝方に素晴らしい雲海の景色を望むことができ、観光資源としても注目されています。かつて湖であった盆地の地形が、現代では水蒸気を蓄える容器として機能し、独特の気象現象を生み出しています。
参考)かめおか霧のテラス ライブカメラ|ぶらり亀岡 亀岡市観光協会
亀岡盆地は保津峡という狭窄部を下流に持つ地形的特徴から、古来より洪水による浸水被害が頻発してきました。盆地に流入した水が保津峡を通って京都盆地へ流れる際、狭い峡谷がボトルネックとなり、大雨時には盆地内で水位が急上昇して氾濫を起こします。実際、保津峡がひと度塞がれば再び湖に戻る地形を現在もなしており、古代の湖の名残が現代の治水課題として残っています。
参考)https://committees.jsce.or.jp/hydraulic02/system/files/iwamotomaki_2019.pdf
1998年に建設された日吉ダムは、亀岡盆地上流の洪水調節を目的としていますが、残流域からの流出によっては浸水被害が発生する可能性があり、治水安全度の向上が課題となっています。また、1951年7月11日には平和池(ため池)が決壊し、114人が犠牲になる大水害も発生しており、亀岡盆地の水害リスクの高さを示しています。
参考)https://www.dpri.kyoto-u.ac.jp/nenpo/no62/ronbunB/a62b0p37.pdf
近年では「流域治水」という考え方が重視されており、河川に水が流れ込む前に田んぼや公園緑地などで雨水を貯留する方策が進められています。具体的には、各家庭への雨水貯留槽の設置補助や、雨水調整池を兼ねた駐車場の整備など、流域全体で「貯める」取り組みが展開されています。
参考)https://www.city.kameoka.kyoto.jp/uploaded/attachment/31565.pdf
亀岡市における流域治水時代のまちづくりについては、河川情報センターの報告書に詳細が記載されています
亀岡盆地は、かつて湖であった地形が河川氾濫原へと変化し、長い年月をかけて豊かな氾濫原湿地生態系を形成してきました。桂川が保津峡の狭窄部上部で大きな氾濫原を作り出し、この湿地生態系の多くは現在水田として利用されています。低湿地特有の植物、昆虫、魚類などが育まれ、特に国の天然記念物であるアユモドキなどの希少な湿地性動植物が生息しています。
参考)亀岡アユモドキ生息地要請
この生態系は、水田水域のプランクトンなど微生物の高い生産性、水系ネットワーク、豊富で清純な地下水・湧水、そして地域での営農活動など、さまざまな環境条件が奇跡的に組み合わさって形づくられています。亀岡盆地は「重要里地里山」にも選定されており、古来より農耕を主体とした文化が発達した地域として、河川氾濫原の湿地生態系が良好な状態で保たれてきました。
参考)環境省_「重要里地里山」_詳細情報(亀岡盆地の氾濫原)
しかし、圃場整備後に田んぼの生態系が大きく変化しており、現在のままの田んぼを保全する意義が問われています。また、流域治水と生態系保全のバランスをいかに取るかが、今後の亀岡盆地における重要な課題となっています。盆地の水利は多くが大堰川に依存していますが、山際の地域では上流からの川や山間部のため池を利用しており、こうした多様な水資源管理が地域の生態系を支えています。
参考)2016亀岡・南丹・京都の水風景
亀岡盆地の氾濫原に関する生態系の詳細は、環境省の重要里地里山情報で確認できます