開放花は結実率2割に留まります。
閉花受粉とは、花冠が開かないまま、あるいは開く前に自家受粉することを指します。通常の花は開花して昆虫や風によって他の花の花粉を受け取る他家受粉を行いますが、閉花受粉ではつぼみの状態のまま自分自身の花粉で受粉を完了させます。この現象を行う花を閉鎖花(へいさか)と呼び、閉花受精とも表現されます。
閉鎖花の内部にもおしべとめしべは備わっています。ただし、花びらや蜜腺といった昆虫を誘引する構造は省略されているか、極めて小型化しています。雄しべの本数も通常の花と比べて少なくなっており、花粉の生産量も最小限に抑えられているのが特徴です。つまり、閉鎖花は受粉のために必要なコストを徹底的に削減した合理的な構造といえます。
この受粉様式は植物にとって確実に次世代の種を作ることができる手段です。開放花では昆虫の訪花や風による花粉の運搬に依存するため、天候不順や昆虫の少ない環境では受粉が失敗する可能性があります。しかし閉鎖花なら、外部環境に左右されず種子生産が保証されるのです。
エネルギー効率の面でも閉花受粉は優れています。花びらを大きく開き、蜜を分泌し、大量の花粉を生産する通常の花と比べて、閉鎖花は構造が簡素で消費するエネルギーが格段に少なくて済みます。植物にとっては、限られた栄養を効率的に使って確実に子孫を残せる戦略なのです。
国内で観察できる閉花受粉を行う植物は、牧野富太郎博士によって11科14属19種がリストアップされています。
最も身近で有名なのはスミレ属の植物です。
日本に自生するスミレ属は約50種ありますが、その大部分が閉鎖花をつける能力を持っています。スミレの正常花(開放花)の花季は3月から6月ですが、その後の時期に茎の根元近くで閉鎖花を形成し、種子を生産します。
ホトケノザも閉鎖花をつける代表的な植物です。春先には紫色の可愛らしい花を咲かせますが、開花期が終わると閉鎖花に切り替えて種子生産を続けます。このホトケノザの閉鎖花は地上に形成されるタイプで、花びらが全く開かないまま自家受粉します。結実率は8割程度と非常に高く、開放花の結実率2割と比べると4倍の確率で種子をつくれるのです。
センボンヤリという植物は、春に開放花を咲かせ、秋に閉鎖花を形成するという時期を分けた戦略をとっています。春の開放花では他家受粉による遺伝的多様性の確保を狙い、秋の閉鎖花では確実な種子生産を行うという使い分けです。閉鎖花の種子は開放花の種子と比べて長い冠毛を持っており、風によって遠くまで運ばれやすい構造になっています。
その他にも、キキョウソウ、コバノタツナミ、ヤブマメ、ツリフネソウ、ミヤマカタバミなど多くの野草が閉鎖花をつけます。興味深いのは、地中に閉鎖花をつける植物も存在することです。ヤブマメなどは地下茎の先に閉鎖花を形成し、地中で種子を実らせます。これは乾燥や寒さといった地上の厳しい環境から種子を守る巧妙な戦略といえるでしょう。
農業分野で注目されているのが、閉花受粉性イネの開発です。2007年に農業・食品産業技術総合研究機構(現・農研機構)、東京大学、九州大学の共同研究チームが、花が開かずに実をつけるイネの突然変異体を発見しました。このイネは「spw1-cls変異体」と名付けられ、遺伝子組換え農作物の花粉飛散による一般農作物との交雑を抑制する技術として期待されています。
通常のイネは開花時に、鱗被(りんぴ)と呼ばれる花びらに相当する器官が膨らんで穎(もみがら)を外側に押し出します。これによって開花が起き、おしべが上方に伸びて葯が穎の外に抽出し、花粉が外部に飛散します。しかし閉花受粉性イネでは、鱗被が平らで細長い穎状の器官に変化しているため膨らむことができず、開花しません。結果として葯が外気に曝されず、花粉が飛散しないのです。
この閉花受粉性イネの原因遺伝子はSUPERWOMAN1(SPW1)遺伝子であることが突き止められました。通常のイネではSPW1タンパク質が他のパートナータンパク質と結合して鱗被とおしべの形成に必要な遺伝子の発現を活性化しますが、変異体ではアミノ酸置換によって結合能力が低下し、鱗被が正常に形成されません。ただし、おしべやめしべには変化がなく、正常に稔実できるため、収量に大きな影響はありません。
実際の栽培特性を調べた結果、閉花受粉性イネは原品種である「台中65号」と比べて、出穂日、草丈、穂数、穂長、1穂粒数、稔実率、粒重、粒の形状や外観に顕著な差は見られませんでした。つまり、花粉が飛散しないという特性以外は通常のイネと同等の農業特性を持っているのです。現在は、この閉花受粉性遺伝子をさまざまなイネ品種に導入し、各地域での栽培試験や安定性の検証が進められています。
遺伝子組換え作物の花粉が周辺の一般作物と交雑するリスクは、生産者や消費者にとって大きな懸念材料です。閉花受粉性イネを遺伝子組換えイネの母本として利用すれば、花粉飛散による外来遺伝子の拡散を抑制できます。この技術は、遺伝子組換え農作物の安全な栽培を実現するための重要な選択肢として期待されています。
多くの閉鎖花をつける植物は、開放花と閉鎖花の両方を形成する能力を持っています。閉鎖花だけをつける植物は極めて稀で、通常はスミレ属のように開放花も併せて生産します。
この二刀流の戦略には明確な理由があります。
開放花の目的は他家受粉による遺伝的多様性の確保であり、閉鎖花の目的は自家受粉による確実な種子生産です。
キツリフネという植物の研究では、開放花由来の種子と閉鎖花由来の種子の生存率に差があることが分かっています。閉鎖花由来の種子は近交弱勢のために、開放花由来の種子の10分の1程度の生存率しかありません。しかし、環境が悪く昆虫の訪花が期待できない状況では、閉鎖花で確実に種子をつくることが子孫を残す唯一の手段となります。
開放花と閉鎖花の割合も植物によって異なります。キッコウハグマという植物では、花全体の頭花数において開放花は閉鎖花の1割程度と少数です。さらに結実の割合も開放花では2割程度に留まるのに対し、閉鎖花は8割程度と高確率で種子をつくります。つまりキッコウハグマは、その繁殖の大部分を閉鎖花に依存しているのです。
このような使い分けは、植物が長い進化の過程で獲得した高度な適応戦略といえます。好条件の環境では開放花で他家受粉を狙い、遺伝的多様性を高めて病害虫への抵抗力や環境変化への適応力を維持します。一方、昆虫が少ない時期や悪天候が続く場合は閉鎖花に切り替えて、エネルギーを節約しながら確実に種子を残すのです。この柔軟性が、厳しい自然環境での生き残りを可能にしています。
閉花受粉の最大のメリットは、種子生産の確実性です。昆虫による送粉に頼る必要がないため、昆虫が少ない時期や環境でも種子を残せます。これは農業従事者にとって、天候不順や送粉昆虫の減少といった外部要因に左右されにくい安定した栽培が可能になることを意味します。特に施設栽培や隔離環境での栽培では、人工授粉の手間を省ける点も大きな利点です。
エネルギー効率の高さも見逃せないメリットです。花びら、蜜、大量の花粉といった送粉のための構造を省略できるため、植物は栄養を種子や茎葉の成長に集中できます。閉鎖花は開放花と比べて形成に必要な資源が少なく、より多くの花を効率的につくることが可能です。これは作物の収量向上にもつながる可能性があります。
一方で、閉花受粉には深刻なデメリットもあります。
最大の問題は遺伝的多様性の低下です。
自家受粉を繰り返すと、遺伝子の組み合わせが固定化され、病害虫に対する抵抗力が弱まります。例えば、ある病原菌に対して抵抗性を持たない個体ばかりになると、その病気が発生した際に集団全体が壊滅的な被害を受けるリスクがあります。これは農業にとって収量損失や防除コストの増加という形で現れます。
さらに、長期間にわたって同じ品種で自家受粉を続けると、遺伝的退化が起こる可能性があります。近交弱勢と呼ばれる現象で、有害な遺伝子が蓄積し、生存率や成長速度が低下します。キツリフネの研究で示されたように、閉鎖花由来の種子の生存率が開放花由来の種子の10分の1になるケースもあるのです。このリスクを軽減するには、定期的に他の系統との交配を行い、遺伝的多様性を回復させる必要があります。
農業従事者がこの問題を回避するには、閉花受粉性品種だけに頼らず、交配による品種更新や複数系統の栽培を組み合わせる戦略が有効です。閉花受粉性イネの開発においても、交配によって閉花受粉性遺伝子を導入した品種を複数作り、遺伝的背景の異なる系統を維持することが推奨されています。これにより、確実な種子生産というメリットを享受しながら、遺伝的多様性の低下リスクを最小限に抑えることができます。