フザリウム属菌(*Fusarium* spp.)は、世界中の土壌に広く分布する糸状菌(カビ)の一種であり、農業において最も深刻な被害をもたらす病原菌の一つです。この菌が引き起こす病害は多岐にわたり、作物の種類によって症状の現れ方が異なりますが、共通しているのは植物の維管束系や根に深刻なダメージを与えるという点です。特に「つる割病」「萎凋病(いちょうびょう)」「根腐病」といった名称で知られる病害の多くは、このフザリウム属菌が原因です。
感染のメカニズムとして最も特徴的なのは、植物の根から侵入し、水分や養分の通り道である「導管」を物理的および生理的に閉塞させることです。フザリウム属菌の菌糸や胞子が導管内で増殖すると、根から吸い上げた水分が地上部へ行き渡らなくなります。その結果、日中は葉がしおれ、夜間には回復するという初期症状を繰り返した後、最終的には株全体が枯死してしまいます。茎を切断してみると、導管部分が暗褐色や黒色に変色しているのが確認できます。これが、青枯病(細菌性)と見分ける重要なポイントの一つです(青枯病は茎を切って水につけると白い乳液状の細菌泥が流出しますが、フザリウムによる病害ではそれは見られません)。
また、フザリウム属菌には「宿主特異性」という非常に厄介な性質があります。これは、トマトに感染するフザリウム菌(F. oxysporum f. sp. lycopersici)はキュウリには感染せず、逆にキュウリに感染する菌(F. oxysporum f. sp. cucumerinum)はトマトには無害であるという性質です。この特異性により、外見上は同じフザリウム属菌であっても、特定の作物だけを狙い撃ちにする「分化型(formae speciales)」が存在するため、同じ作物を連作することで特定の分化型が土壌中で爆発的に増殖し、連作障害の主要な原因となります。
地上部での症状としては、麦類における「赤かび病」が有名です。これは開花期にフザリウム属菌が穂に感染することで発生し、粒が充実せず、薄いピンク色(サケ色)のカビが生じます。このピンク色のカビこそがフザリウム属菌の胞子の塊であり、見た目の被害だけでなく、後述する毒素の問題にも直結します。他にも、サツマイモの基腐病(もとぐされびょう)など、近年新たな脅威として注目されている病害もフザリウム属菌の近縁種によるものが多く、常に最新の発生予察情報に注意を払う必要があります。
農林水産省:麦類の赤かび病防除と毒素低減に関する技術情報(発生環境や防除適期の詳細)
フザリウム属菌が防除の難しい病原菌とされる最大の理由は、その驚異的な生存能力と土壌中での繁殖戦略にあります。この菌は、生活環の中で3種類の胞子(大型分生子、小型分生子、厚膜胞子)を形成しますが、中でも対策を困難にしているのが「厚膜胞子(こうまくほうし)」の存在です。
厚膜胞子は、栄養状態が悪化したり環境が不適切になったりした際に形成される耐久性の高い器官です。細胞壁が非常に厚く、乾燥や低温、薬剤に対して極めて強い耐性を持っています。宿主となる作物が栽培されていない期間でも、この厚膜胞子の状態で土壌中に数年から、長いものでは10年以上も休眠状態で生存し続けることができます。そして、宿主作物が植えられ、根から分泌されるアミノ酸や糖類などの誘引物質を感知すると、一斉に発芽して感染を開始します。これが、数年間休耕した畑でも、再び同じ作物を植えると病気が再発してしまう原因です。
土壌環境の観点からは、フザリウム属菌は一般的に酸性土壌(pH 4.5〜6.0程度)を好む傾向があります。多くの野菜が好む弱酸性から中性の土壌環境よりも、やや酸性に傾いた環境で活発になります。そのため、石灰資材を用いて土壌pHを適切に矯正し、中性付近に保つことは、フザリウム病の発生を抑制する基本的な耕種的防除の一つとなります。
温度に関しては、多くのフザリウム属菌は20℃〜30℃の比較的高温域で最も繁殖が盛んになります。日本の夏場の気候は、まさにこの菌にとって最適な環境です。また、土壌の物理性については、砂質土壌(砂壌土)での発生が多いとされています。これは、砂質土壌が通気性が良く菌の呼吸に適していることや、保水力が低いために植物が水ストレスを受けやすく、抵抗力が落ちたところを感染されやすいためと考えられています。
一方で、水分条件については、極端な過湿状態よりも、ある程度の水分がありつつも通気性が確保されている状態を好みます。しかし、近年の研究では、排水不良の圃場において根が酸素欠乏で傷むことで、そこから侵入を許すケースも多発しており、排水対策は病害抑制の観点からも極めて重要です。土壌中の未熟な有機物もフザリウム属菌の増殖を助長するため、完熟堆肥を使用することが鉄則です。未熟な堆肥は、分解過程で根を傷めるガスを発生させるだけでなく、フザリウム属菌の栄養源となり、土壌中での密度を高める結果を招きます。
東京顕微鏡院:フザリウム属菌の生態やカビ毒の種類に関する基礎知識
フザリウム属菌は、単に植物を枯らすだけでなく、「マイコトキシン」と呼ばれる有害なカビ毒を産生することで、食品の安全性にも重大なリスクをもたらします。特に麦類(小麦、大麦)の赤かび病菌が産生する毒素は、人や家畜に対して急性および慢性の中毒症状を引き起こす可能性があり、国際的にも厳しい規制が設けられています。
代表的な毒素には、「デオキシニバレノール(DON)」、「ニバレノール(NIV)」、「ゼアラレノン(ZEA)」などがあります。これらは総称してトリコテセン系マイコトキシンと呼ばれ、熱に対して非常に安定しているという特徴があります。つまり、収穫された麦を製粉し、うどんやパンとして加熱調理しても、毒素は分解されずに残留してしまうのです。これが、生産段階での防除が不可欠である理由です。
デオキシニバレノール(DON)は、摂取すると激しい嘔吐、腹痛、下痢などの消化器系症状を引き起こすことから、別名「嘔吐毒」とも呼ばれます。また、免疫機能の低下や発育阻害などの慢性的な影響も懸念されています。日本では、玄麦中のデオキシニバレノール含有量に対して「1.1 ppm(mg/kg)」という暫定基準値が設定されており、この値を超えた麦は食品として流通させることができません。生産者は、収穫前の適期防除を徹底し、万が一赤かび病が多発した場合は、色彩選別機などで被害粒を徹底的に除去する必要があります。
ニバレノール(NIV)は、DONよりも毒性が強いとされていますが、世界的にはDONの汚染が主流であるため、国際的な基準値の設定は遅れています。しかし、日本やアジア地域のフザリウム属菌はNIVを産生するタイプも多く存在するため、日本国内ではDONと併せて監視の対象となっています。ゼアラレノン(ZEA)は、女性ホルモン(エストロゲン)に似た作用を持つ毒素で、家畜、特に豚が摂取すると生殖障害や流産を引き起こすことが知られています。
これらの毒素汚染を防ぐためには、開花期の防除が最も重要です。赤かび病菌は、開花した小花(えい)から侵入するため、開花始期から開花盛期にかけての薬剤散布が必須となります。また、収穫遅れによる雨濡れも毒素量を増加させる大きな要因となるため、適期収穫と収穫後の速やかな乾燥(水分12.5%以下)が、毒素汚染リスクを下げるための鍵となります。
厚生労働省:食品中のデオキシニバレノール(DON)の規格基準設定に関する詳細資料
フザリウム属菌による土壌病害の防除は、化学合成農薬だけに頼るのではなく、物理的防除や耕種的防除を組み合わせた「総合的病害虫管理(IPM)」の実践が不可欠です。一度土壌汚染が広がると根絶が難しいため、菌密度を「被害が出ないレベルまで下げる」ことが目標となります。
最も効果的で環境負荷が低い物理的防除法の一つが「土壌還元消毒」や「太陽熱消毒」です。土壌還元消毒は、フスマ(小麦の皮)や米ぬかなどの分解されやすい有機物を土壌に混和し、水を張ってビニールで被覆することで行います。これにより土壌中の微生物が有機物を分解する際に酸素を消費し、土壌が還元状態(酸素欠乏状態)になります。フザリウム属菌は好気性(酸素を必要とする)のカビであるため、この酸欠状態と、有機酸の発生、そして太陽熱による温度上昇の相乗効果によって死滅します。夏場の高温期に実施すれば、深層の菌まで効果的に減らすことが可能です。
化学的防除としては、土壌くん蒸剤(クロルピクリン剤など)の使用が一般的です。これは即効性があり、高い殺菌効果を示しますが、同時に土壌中の有用な微生物まで死滅させてしまう欠点があります。そのため、くん蒸後には有用微生物資材を投入するなどして、土壌の微生物バランス(バイオバランス)を早期に回復させるケアが必要です。
耕種的対策としては、「輪作」が基本です。前述の通り、フザリウム属菌には宿主特異性があるため、ウリ科、ナス科、マメ科など、異なる科の作物を順番に栽培することで、特定の分化型の菌密度が高まるのを防ぐことができます。また、「抵抗性品種」や「接ぎ木栽培」の導入も極めて有効です。特にトマトやキュウリ、ナスなどの果菜類では、フザリウム病に強い台木を用いた接ぎ木苗を利用することで、汚染土壌でも安定した収穫が可能になります。
圃場の衛生管理も重要です。発病した株は、見つけ次第速やかに抜き取り、圃場外に持ち出して焼却処分するか、適切に廃棄する必要があります。発病株を畑に放置したり、すき込んだりすることは、翌作のために病原菌を培養しているようなものであり、厳禁です。農機具や長靴に付着した土からも感染が広がるため、汚染圃場で作業した後は必ず洗浄・消毒を行う習慣をつけることが、地域全体への蔓延防止につながります。
農研機構:麦類のかび毒汚染低減のための生産工程管理マニュアル(防除体系の実践的指針)
近年、土壌消毒などの強力な殺菌手段に代わる、あるいはそれを補完する技術として注目されているのが、「拮抗微生物(きっこうびせいぶつ)」を活用した生物的防除です。これは、フザリウム属菌と戦ってくれる、あるいはその増殖を抑えてくれる「味方の菌」を土壌中で増やすというアプローチです。特に「発病抑止土壌」と呼ばれる、病原菌がいるにもかかわらず病気が発生しない土壌の研究から、具体的なメカニズムが解明されつつあります。
意外に知られていない事実として、フザリウム属菌の中には病原性を持たない「非病原性フザリウム」が存在します。これらは、病原性フザリウムと同じ場所(根の表面や侵入部位)や栄養分を奪い合うことで、結果的に病原性菌の感染をブロックします。また、シュードモナス属(Pseudomonas)やバチルス属(Bacillus)といった細菌類、トリコデルマ属(Trichoderma)の糸状菌も、強力な拮抗作用を持つことが知られています。これらの微生物は、抗生物質を産生してフザリウム菌を直接攻撃したり、植物の免疫システムを活性化(誘導抵抗性)させたりする働きを持っています。
この拮抗微生物を効率的に増やすための画期的な方法として、「コンパニオンプランツ」や「対抗植物」としてのネギ類(ネギ、ニラ、ニンニクなど)の活用があります。近年の研究で、ネギ類の根から分泌される特定の成分が、フザリウム属菌の天敵となる拮抗細菌(特にシュードモナス属細菌)を特異的に集積させることが判明しました。例えば、トマトやナスなどの栽培前や栽培中にネギ類を混植したり、輪作体系に組み込んだりすることで、土壌中にこの拮抗細菌のネットワークが形成され、フザリウム病の発生が自然と抑制されるのです。これは「土着の有用菌を植物の力で呼び寄せる」という、極めて理にかなった持続可能な防除法と言えます。
さらに、市販の微生物資材を利用する場合も、単に投入するだけでなく、それらの菌が定着しやすい環境(エサとなる良質な有機物の投入など)を整えることが重要です。土壌消毒で一度リセットされた土壌は「真空地帯」のようになり、病原菌が再侵入すると爆発的に増殖するリスク(リサージェンス)があります。そのため、消毒後にあえて拮抗微生物資材や堆肥を投入し、有用菌で「席を埋めておく」戦略が、現代の土壌病害管理のトレンドとなっています。
参考特許情報:フザリウム菌の拮抗細菌増殖促進物質(ネギ類成分によるメカニズム解説)