農業委員会という組織が抱える最も深刻な闇の一つが、農地転用許可を巡る贈収賄事件です。地方都市において、農地は単なる耕作地以上の意味を持ちます。ショッピングモールやソーラーパネル、産業廃棄物処理施設へと姿を変えることで、その土地は莫大な利益を生む「金のなる木」へと変貌します。この利権構造の中心に位置するのが、農地法に基づく許可権限(あるいは都道府県知事への意見具申権限)を持つ農業委員です。
過去に茨城県水戸市や長野県などで発覚した事例では、現職の農業委員が、有利な取り計らいを求める業者から現金を受け取り、逮捕されるという衝撃的な結末を迎えました。これらの事件で共通しているのは、「地元の顔役」としての農業委員の立場が、行政監視の目を行き届きにくくさせているという点です。
参考)https://naganokaigi.com/upimg/681pho634391.pdf
具体的には、本来であれば許可が下りないような優良農地(第一種農地など)であっても、「周辺の営農に支障がない」という意見書を委員会が提出することで、例外的に転用が認められるケースがあります。この「意見書」一つに数百万円の賄賂が動くこともあり、行政の信頼を根底から揺るがす事態となっています。
さらに深刻なのは、こうした贈収賄が発覚するのは氷山の一角に過ぎないという事実です。多くのケースでは、現金の授受が密室で行われ、当事者間の口約束で処理が進むため、証拠が残りにくいのです。
逮捕に至るケースは、内部告発やあまりにも露骨な金銭要求があった場合に限られることが多く、水面下では今もなお、不透明な取引が行われている可能性が否定できません。私たちは、この「許可の対価」として支払われた金銭が、最終的には開発コストとして価格転嫁され、社会全体の不利益となっていることを認識する必要があります。
農業委員会の事務局内部で起きる不祥事として、近年目立つのが公印の無断使用と、それに伴う虚偽有印公文書作成です。これは外部からの圧力や賄賂によるものではなく、事務局職員の独断や、業務上のプレッシャーから逃れるために行われるケースが多く見られます。
大阪府河南町や岩手県花巻市で発生した事例は、まさにこの典型でした。担当職員が、正規の決裁手続きを経ることなく、上司の机から公印を持ち出し、勝手に許可証や証明書を発行していたのです。なぜ、これほど大胆な犯行が可能だったのでしょうか。
参考)無断で公印を使用した職員を停職3か月に:地域ニュース : 読…
この手口の恐ろしい点は、偽造された公文書であっても、一度発行されてしまえば、第三者(銀行や法務局、開発業者)はそれを「真正なもの」として扱ってしまうことです。例えば、融資を受けるために必要な「非農地証明」が虚偽に作成された場合、金融機関はそれを信じて融資を実行します。後になって不正が発覚した場合、その損害は計り知れません。
また、職員がこうした行為に及ぶ背景には、「申請者からの執拗な催促」や「処理しきれない業務量」といったストレスがあることも見逃せません。正規の手続きを踏むと時間がかかるため、「とりあえずハンコを押して渡してしまおう」という安易な判断が、重大な犯罪である虚偽有印公文書作成へとつながっていくのです。これは個人の資質の問題であると同時に、無理な人員配置を行っている組織の問題でもあります。
地味ながらも地域社会に甚大な被害をもたらすのが、事務処理の怠慢や放置による不祥事です。岡山県和気町で発覚した事例では、担当職員が数年間にわたり、農地転用に関する手続き数十件を未処理のまま放置していました。
参考)不適正な事務処理で職員停職6カ月、岡山・和気町処分 農地転用…
この事務処理の放置は、単なる「仕事の遅れ」では済みません。行政が機能不全に陥っている間に、現場では取り返しのつかない事態が進行するからです。
さらに、こうした放置は、時として「黙認」と受け取られます。悪質な業者は「役所は何も言ってこないから大丈夫だ」と判断し、違反転用をさらに拡大させます。結果として、優良な農地が汚染されたり、景観が破壊されたりした後に、ようやく問題が発覚するのです。
本来、農業委員会は農地のパトロールを行い、違反があれば是正指導を行う義務があります。しかし、事務局の機能が麻痺していれば、その監視の目は節穴となります。未処理の書類の山は、単なる紙切れではなく、行政が守るべき地域の環境と秩序が放棄されていることの証明なのです。この「作為的な不作為」こそが、地方行政の現場で静かに進行している最も恐ろしい病理と言えるでしょう。
参考)農地の違反転用発生防止・早期発見・早期是正へ向けた取組み:農…
農業委員やその事務局職員が起こす不祥事に対し、どのような処分が下されているのでしょうか。ニュースで報じられる停職処分や失職の事例を見ると、その「軽さ」に驚かされることがあります。
滋賀県高島市では、農地利用最適化推進委員が、自己所有地において廃棄物処理法違反を犯し、禁錮刑以上の刑が確定したことで失職しました。これは法的な欠格事由に該当したため自動的に失職した例ですが、それ以前の段階、つまり権限を悪用して便宜を図ったり、不適切な処理を行ったりした段階では、身内による「甘い処分」で済まされることが少なくありません。
参考)https://www.city.takashima.lg.jp/material/files/group/11/20250801.pdf
農業委員会は、市町村長から独立した行政委員会としての性格を持ちます。これが災いし、市町村長の指揮監督権が及びにくい「聖域」となることがあります。
また、権限の悪用は、自身の利益誘導だけでなく、政敵への嫌がらせとして使われることもあります。「気に入らない農家の転用申請はずっと棚上げにする」「対立候補の支持者の農地には厳しいパトロールを行う」といった陰湿な権力行使は、表沙汰になりにくいものの、地域農業の健全な発展を阻害する大きな要因です。
停職処分が発表される際、多くの自治体は「再発防止に努める」という定型文を発表しますが、その具体策が精神論(コンプライアンス研修の実施など)に留まっていることも問題です。権限を分散させ、外部からの監査を定期的に入れる仕組みを作らない限り、同じような不祥事は繰り返されるでしょう。
最後に、検索上位の記事にはあまり見られない、しかし極めて悪質で巧妙な手口である「架空契約」を利用した不正について解説します。これは、栃木市で発生した社会福祉法人による農地転用事件で明らかになった手法であり、現在の許可制度の構造的な欠陥、いわば「盲点」を突いたものです。
参考)社福法人が架空契約根拠に農地転用を申請 元地権者「明らかな虚…
この事件では、実際には土地の賃貸借契約が結ばれていないにもかかわらず、地権者の名前を勝手に使い、ハンコも偽造して「土地利用の同意がある」かのような架空の契約書が作成されました。そして、その書類に基づいて農業委員会が転用を許可してしまったのです。
ここで驚くべきは、農業委員会側の「書面審査主義」の限界です。委員会は提出された書類が形式的に整っていれば、それが「本物の契約」であると信じて審査を進めます。地権者本人に「本当に貸しましたか?」と電話一本入れて確認すれば防げるはずの詐欺ですが、膨大な申請件数を処理する中で、そこまでの確認作業は「義務ではない」とされ、省略されることが一般的です。
この架空契約の闇が深いのは、被害者が「自分の土地が勝手に転用許可されている」と気づくのが、工事が始まってから、あるいは数年後になってからという点です。栃木市のケースでも、元地権者が情報開示請求を行って初めて、自分の知らないところで勝手に申請書が作られていた事実を知りました。
これは単なる書類偽造ではなく、行政手続きそのものをハイジャックする行為です。農業委員会が「性善説」に基づいて運営されていることの脆弱性が露呈した形です。
虚偽の申請を見抜くためのデジタル署名の導入や、地権者本人への通知義務化など、制度の根本的な見直しが急務です。この「見えない犯罪」は、今も日本のどこかで、誰かの農地を密かに狙っているかもしれません。
農林水産省:農地の違反転用発生防止・早期発見・早期是正へ向けた取組み(違反転用に対する行政の対応フローが詳細に記載されています)
河南町:職員の懲戒処分について(公印無断使用と虚偽公文書作成の具体的な処分内容が確認できます)
Yahoo!ニュース:不適正な事務処理で職員停職6カ月(業務過多による事務放置の実例として参照しました)
毎日新聞:社福法人が架空契約根拠に農地転用を申請(架空契約による不正申請の独自視点の根拠記事です)