韓国における口蹄疫の発生状況は、日本の畜産農家にとっても決して対岸の火事ではありません。2025年3月14日、韓国南西部に位置する全羅南道霊岩郡(チョルラナムどう・ヨンアムぐん)の韓牛農場において、約1年10ヶ月ぶりとなる口蹄疫の発生が確認されました。この農場では約180頭の韓牛が飼育されており、定期的な検査プロセスの中で感染が発覚しました。当局は直ちに緊急防疫措置を発動し、発生農場の飼育牛に対する殺処分や、周辺地域への移動制限措置を講じています。
参考)韓国における口蹄疫の発生について
韓国では2010年から2011年にかけて、牛や豚など約348万頭が殺処分されるという、国家的な大災害とも呼べるパンデミックを経験しました。その後も2014年、2017年、2019年と断続的に発生が続いており、2023年5月には忠清北道の清州市などで4年ぶりの発生が見られました。そして今回の2025年の事例は、依然としてウイルスが韓国内に潜伏しており、いつどこで再燃してもおかしくない状況であることを示しています。
参考)https://lin.alic.go.jp/alic/month/domefore/2011/nov/wrepo02.htm
特に懸念されるのは、発生のサイクルが不規則でありながらも、確実に繰り返されている点です。韓国政府は「口蹄疫ワクチン接種清浄国」の地位維持を目指していますが、ウイルスの封じ込めには至っていません。今回の全羅南道での発生は、これまでの発生地域とは異なるエリアでの確認事例もあり、ウイルスが地域をまたいで広範囲に移動している可能性を示唆しています。日本の農林水産省もこの事態を重く受け止め、韓国からの渡航者や貨物に対する水際対策を即座に強化しました。
参考)外務省 海外安全ホームページ|現地大使館・総領事館からの安全…
畜産関係者の皆様には、韓国での発生ニュースを見るたびに、「明日は我が身」という危機感を持っていただければと思います。ウイルスは目に見えませんが、隣国での発生情報は、私たちの防疫体制を見直すための重要なシグナルなのです。
【参考リンク】農林水産省:口蹄疫に関する最新情報と発生状況の推移
韓国の口蹄疫対策において、中心的な役割を果たしているのがワクチン接種政策です。2010年の大流行以降、韓国政府は殺処分中心の政策からワクチン接種による管理政策へと大きく舵を切りました。現在、韓国内のすべての牛や豚などの偶蹄類家畜に対して、口蹄疫ワクチンの接種が義務付けられています。理論上、高い接種率を維持すれば集団免疫が成立し、大規模な感染爆発は防げるはずです。
参考)https://www.pref.kumamoto.jp/uploaded/attachment/104858.pdf
しかし、現実にはワクチン接種を行っているにもかかわらず、散発的な発生が後を絶ちません。ここには「抗体陽性率」と「接種漏れ」という大きな課題が潜んでいます。
まず、ワクチンを打てば必ず100%の防御効果が得られるわけではありません。個体によっては十分な免疫がつかない場合や、接種のタイミング、手技の問題で効果が薄れることがあります。韓国政府は定期的に抗体検査を行い、基準値を下回る農家には過料を科すなどの厳しい措置を取っていますが、それでも抗体陽性率が低い農場が存在するのが実情です。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/jve/27/1/27_64/_pdf
さらに問題なのが、現在使用されているワクチンと、実際に流行するウイルスの型(血清型)との適合性です。口蹄疫ウイルスにはO型、A型など複数のタイプがあり、ワクチンがマッチしていないと十分な効果は期待できません。韓国ではO型とA型の混合ワクチンなどが使用されていますが、変異しやすいウイルスの性質上、完全に防ぐことは困難です。2023年の発生事例でも、ワクチン接種済みの個体から感染が確認されており、「ワクチンを打っているから安心」という神話は崩れつつあります。
また、現場の農家にとっては、ワクチン接種による家畜へのストレスや、肉質の低下(注射部位の化膿など)といった副作用も悩みの種です。これが原因で、一部の農家が接種を忌避したり、適切な回数を打たなかったりするケースも指摘されています。防疫当局と生産現場の間にあるこうした温度差が、ウイルスの侵入を許す隙を生んでいると言えるでしょう。
【参考リンク】農研機構:口蹄疫ワクチンの特性とウイルスの血清型についての解説
口蹄疫の発生に伴う殺処分家畜の処理、特に「埋却(土に埋めること)」が引き起こす環境問題は、韓国社会に暗い影を落としています。これは日本ではあまり詳しく報道されない側面ですが、農業従事者としては知っておくべき深刻な現実です。
2010年から2011年の大流行時、韓国全土で約4800カ所以上の埋却地が急造されました。短期間に300万頭以上の家畜を処理する必要に迫られたため、適切な防水シートの施工やガス抜きパイプの設置が不十分なまま埋められたケースが多発しました。その結果、腐敗した家畜の死骸から出る「浸出水(しんしゅつすい)」が土壌に漏れ出し、地下水や近隣の河川を汚染するという二次災害が発生しました。
参考)口蹄疫埋却地から悪臭、夏にはさらに深刻化
さらに衝撃的なのは、埋却地の管理が長期間にわたって必要となる点です。埋却後3年以上経過しても、地中で分解が進まず、再発掘してレンダリング(化製処理)や焼却処理し直すという作業が行われた地域もあります。この「掘り起こし」作業もまた、作業員にとって精神的・肉体的に過酷なものであり、ウイルスの再飛散リスクを伴う危険な工程です。
現在の韓国では、こうした教訓から埋却処理を減らし、移動式レンダリング装置による熱処理や焼却処分を推奨する動きがあります。しかし、突発的な大規模発生時には処理能力が追いつかず、再び埋却に頼らざるを得ない可能性も残っています。土地が狭く、水源が近い日本の農村地域においても、万が一発生した場合、この「処理場所と方法」の問題は避けて通れない重大な課題となるでしょう。
参考)https://www.maff.go.jp/j/syouan/douei/katiku_yobo/k_kaho/attach/pdf/index-8.pdf
【参考リンク】環境省:家畜埋却地における環境対策と地下水モニタリングの指針
韓国と日本は地理的に非常に近く、人や物の往来が活発であるため、韓国での口蹄疫発生は即座に日本への侵入リスクに直結します。特に2025年以降、インバウンド需要の回復により韓国からの旅行者が増加しており、ウイルスが靴底や衣服、持ち込み禁止の食品(ハムやソーセージなど)に付着して持ち込まれる危険性が高まっています。
口蹄疫ウイルスは非常に感染力が強く、微量でも感染を広げる能力を持っています。過去には、海外からの帰国者の靴底に付着した泥からウイルスが持ち込まれたと推測される事例もありました。農林水産省動物検疫所では、韓国からの入国便に対して徹底した水際対策を実施しています。
参考)家畜の伝染性疾病の侵入を防止するために:動物検疫所
主な水際対策:
しかし、国による水際対策だけでは限界があります。ウイルスは風に乗って運ばれる可能性も否定できず、また、野生動物(イノシシなど)を介した国境を越えた移動のリスクも考慮しなければなりません。韓国での発生ニュースを聞いたら、まずは「ウイルスはすでに近くにあるかもしれない」と想定し、ご自身の農場のバイオセキュリティレベルを一段階上げることが重要です。
特に注意すべきは、外国人従業員や技能実習生の受け入れ時です。もし彼らが一時帰国などで韓国やその他の発生国を訪問していた場合、日本への再入国時には厳格な待機期間を設けたり、衣服や靴を完全に交換したりするなどの内部ルールを徹底してください。リスクは「外」からだけでなく、日常の人の動きの中にも潜んでいます。
【参考リンク】動物検疫所:肉製品などのおみやげ持ち込み禁止に関する詳細ルール
韓国の事例から学ぶべき最大の教訓は、ウイルスの感染経路がいかに多様で、防ぐのが難しいかという点です。韓国の疫学調査によると、農場での主な感染経路として以下の要因が挙げられています。
飼料運搬車、家畜出荷車両、獣医師やコンサルタントなどの往来車両が、ウイルスを媒介する最大の要因となっています。特に複数の農場を回る車両は、タイヤや運転席の足元にウイルスを付着させたまま移動するリスクが高いです。韓国ではGPSを活用した畜産車両の移動管理システムを導入していますが、それでも完全に遮断することはできていません。
農場周辺に生息する野生のイノシシやシカがウイルスを媒介するケースです。韓国ではアフリカ豚熱(ASF)対策としてフェンス設置が進んでいますが、口蹄疫においても同様に、野生動物が農場の飼料を食べに来たり、排出物に触れたりすることで感染が広がります。
気象条件によっては、ウイルスを含んだ飛沫が風に乗って数キロメートル先まで飛散することがあります。韓国のように養豚団地が密集している地域では、一軒の発生がドミノ倒しのように周辺農場へ広がる原因となります。
これらの経路を遮断するために、韓国の先進的な農場では「農場HACCP」の導入や、農場入口に大規模な車両消毒槽とシャワー室を設置するなどの対策が進んでいます。しかし、コストや手間の問題から、中小規模の農場では十分な対策が取れていないのが現状です。
日本の農家の皆様におかれましても、以下の対策を今一度見直してください。
「韓国だから起きた」のではなく、「どこでも起こりうること」として捉え、基本の消毒と衛生管理を徹底することが、あなたの愛する家畜と経営を守る唯一の道です。
【参考リンク】農研機構:標準的な飼養衛生管理マニュアル(農場防疫の基礎)