体を動かしている農業従事者でも、低栄養リスクは実は都市部の高齢者より高い場合があります。
栄養診断のPES報告とは、対象者の栄養状態の問題を「P(Problem:栄養診断)」「E(Etiology:原因や要因)」「S(Signs/Symptoms:根拠・兆候)」の3要素で簡潔に表現する国際標準の記載方式です。正式には "Problem Related to Etiology as Evidenced by Signs and Symptoms" の略で、日本栄養士会もその普及を推進しています。
日本語での記述順は「Sの根拠に基づき、Eが原因となった、Pの栄養状態と栄養診断ができる」という形が標準です。つまり根拠→原因→問題の順に書く、という点が重要な特徴です。
農業従事者の支援現場でも、このPES形式は非常に役立ちます。農業分野の基幹的農業従事者のうち65歳以上が全体の70%(約95万人)を占めるというデータ(農林水産省・2020年)があり、高齢農業者の栄養管理ニーズは年々高まっています。栄養ケアプロセス(NCP)の中心にあるPES報告を正確に書けるかどうかが、適切なケア計画につながるわけです。
栄養診断は、NI(摂取量)・NC(臨床栄養)・NB(行動と生活環境)の3領域に分類され、全部で70の栄養診断コードが定められています。農業従事者のケースでは、NI領域(エネルギー・栄養素の摂取過不足)やNB領域(知識・生活環境の問題)が該当しやすいです。これが基本です。
| 分類コード | 領域名 | 内容の概要 | 農業従事者でよく見られる例 |
|---|---|---|---|
| NI | 摂取量 | エネルギー・栄養素・水の摂取に関する問題 | 水分不足・たんぱく質不足・塩分過剰 |
| NC | 臨床栄養 | 臨床検査・身体状況と栄養の関係 | 体重減少・BMI低下・血糖異常 |
| NB | 行動と生活環境 | 知識・態度・食物入手に関する問題 | 栄養知識の不足・自炊困難・偏食 |
参考:栄養管理の国際基準を詳しく解説しています。
農業従事者、特に高齢の農業者に多い栄養問題が「低栄養」です。体をよく動かしているから栄養状態は良いはずだ、と思いがちですが、実際には65歳以上の高齢者のうち男性12.2%・女性22.4%が低栄養傾向(BMI≦20)にあることが令和5年の国民健康・栄養調査で明らかになっています。農作業で体を動かしていても、食事量が追いついていない場合は低栄養になります。
以下に、農業従事者の低栄養ケースを想定した典型的なPES記載例を示します。対象は70代の男性農業従事者(身長162cm、体重51kg、BMI19.4)を想定しています。
📝 PES一文での記載例:
「BMI 19.4かつ3ヵ月で体重が6.4%減少していることを根拠として、農繁期の食事量低下と加齢による食欲減退が原因となった、意図しない体重減少の状態と栄養診断する(NC-3.2)。」
このように、S→E→Pの順で情報を組み立てることが基本です。特に農業従事者の場合、繁忙期は食事を簡略化しがちという生活パターンが背景にあるため、Eの部分で「農繁期の食事簡略化」「一人作業で食事の準備が後回し」といった生活実態を具体的に記述することが、適切な栄養介入計画につながります。
また、奈良県の多職種連携事例(PES報告:BMI19.1、3ヵ月で体重減少率3%、食事摂取量平均33%)では、こうした数値の積み重ねがPES報告の根拠として有効に機能することが示されています。数字は必須です。
農作業中の熱中症・脱水は深刻な問題です。「熱中症ゼロへ」プロジェクトが若手農業従事者90人を対象に実施した調査(2025年)によると、農作業中または農作業後に熱中症になった経験のある人、あるいは周囲でかかった人がいると回答した割合は約6割にのぼりました。そのうち20%が「医療機関で治療を受けた」と回答しています。
農業作業現場では、草刈りやハウス内作業など重労働かつ1人になりやすい環境で熱中症・脱水が起きやすい実態があります。こういうリスクが高いですね。
このような現場の実態を踏まえると、水分・電解質不足を主訴とするPES記載は農業従事者支援で頻出のケースです。以下に例を示します。
📝 PES一文での記載例:
「1日の水分摂取量が推奨量の半分以下の約800mLにとどまり、皮膚の弾力低下が認められることを根拠として、農作業中の補水機会の不足と加齢による口渇感低下が原因となった、水分摂取不足の状態と栄養診断する(NI-3.1)。」
S(根拠)に具体的な数値が含まれているかどうかが、PES記載の質を大きく左右します。「水分が少ない」という表現ではなく、「800mL」「推奨量の○%」という形で数値化することが重要です。
一般的に成人の1日の推定水分必要量は食事由来も含めて2,500mL程度とされており、農作業中の発汗量が多い夏季では3,000mL以上の補給が求められることもあります。農作業の強度に応じた水分補給量の見直しが、このE(原因)の対策として自然につながります。
参考:農作業と熱中症に関する実態調査データを確認できます。
「熱中症ゼロへ」プロジェクト「農作業と熱中症に関する実態調査」
農業従事者の中でも特に注意が必要なのが、たんぱく質摂取不足によるフレイル(虚弱)リスクです。高齢になると活動量の割に食事量が少なく、特にたんぱく質が不足しやすいことが栄養学的に知られています。フレイルに陥ると筋肉量が落ち、農作業の継続が困難になるという深刻な結果につながります。
体重50kgの高齢農業者なら、フレイル予防のために1日50〜60gのたんぱく質が必要とされています。これはだいたい鶏むね肉200g+卵2個+豆腐半丁分に相当します。「ご飯とおかず少しで十分」という食習慣だと、この量には到底届きません。
たんぱく質・エネルギー低栄養(PEM)に関するPES記載例は以下の通りです。
📝 PES一文での記載例:
「推定たんぱく質摂取量が目標量の約58%にとどまり、握力が男性基準値(28kg)を大きく下回る18kgであることを根拠として、独居による調理の簡略化と動物性食品の回避が原因となった、たんぱく質摂取不足の状態と栄養診断する(NI-5.7.2)。」
このPES記載から導き出される栄養介入(Rx)の方向性は、手軽にたんぱく質を補える食品の選び方指導になります。たとえば、卵・豆腐・チーズ・市販のプロテイン強化飲料といった、調理をほとんど必要としない食品を農繁期の食事に組み込む提案が現実的です。特に農繁期は1日の食事準備に時間をかけられないという農業従事者特有の生活事情があるため、「手軽さ」がEの根本解決につながります。
農業従事者の中には、体を動かす仕事だから多少食べすぎても大丈夫だという意識から、炭水化物を過剰に摂取しているケースも見られます。農作業後の大盛りご飯や菓子類の多食が日常化しているパターンです。しかし、実際には農閑期に活動量が大幅に落ちるにもかかわらず食事量を変えないことで、血糖値や中性脂肪の上昇が起きやすくなります。意外ですね。
炭水化物過剰摂取のPES記載例は以下の通りです。静岡県栄養士会が公開している症例でも類似のケースが示されており、「HbA1c高値および指示量の約2倍の炭水化物を摂取していることから、炭水化物過剰摂取の状態と栄養診断する」という形式が参考になります。
📝 PES一文での記載例:
「HbA1c 7.2%の高値と6ヵ月で3kgの体重増加、1日の炭水化物摂取量が目標の約1.7倍であることを根拠として、農閑期の活動量低下に対する食事量の未調整と炭水化物中心の食習慣が原因となった、炭水化物過剰摂取の状態と栄養診断する(NI-5.8.2)。」
このケースで特にE(原因)の記述が重要です。「炭水化物が好き」という個人の嗜好だけを原因にするのではなく、「農閑期という季節・活動量の変化」という農業従事者特有の生活パターンをEに組み込むことで、栄養介入の内容もより的確になります。つまり、季節ごとのカロリー調整という具体的な指導につながるわけです。
参考:PES報告の具体的な記載例(症例2)が確認できます。
PES報告を実際に書いていくと、陥りやすい間違いがいくつかあります。農業従事者を対象とした現場で特に注意が必要な点をまとめます。
よくある記載ミス①:SとEが混在している
「食事の準備が面倒なため、たんぱく質が不足している」という書き方は、EとSが入り混じった状態になっています。「食事準備の困難」はE(原因)であり、「たんぱく質摂取量35g/日」はS(根拠・数値)として分けて書くことが正確な記載です。
よくある記載ミス②:Sに数値がない
「体重が減っている」「食欲がない」という表現だけでは、栄養診断の根拠として弱いです。「3ヵ月で2.8kg減少(減少率5.2%)」「食事摂取量が通常の60%」のように、必ず数値を入れることが原則です。数値が条件です。
よくある記載ミス③:PにEをそのまま書いている
「野菜不足が原因で野菜不足である」という循環論法になるケースがあります。PはあくまでNI・NC・NBの栄養診断コードに対応した問題ラベルを用います。たとえば「ビタミンC摂取不足(NI-5.10.1)」のように、コード付きの正式な診断名を使うことが大切です。
農業従事者支援への独自視点:季節変動を意識したPES
農業従事者のケアで見落とされがちなのが、農繁期と農閑期という季節的なエネルギー消費の大きな差です。農繁期(田植えや収穫期)には1日のエネルギー消費量が農閑期の1.5倍以上に達することもありますが、高齢の農業者はそれに見合う食事摂取ができていないケースが多くあります。
したがって、PESのE(原因)に「農繁期の消費エネルギー増加に対する食事量補充の遅れ」という農業特有の観点を加えることで、管理栄養士やケアマネジャーが農業者の生活リズムを理解した上での栄養介入計画を立てやすくなります。これは搬索上位のサイトでは見られない、農業従事者特有のアプローチです。
農業従事者向けに特化した栄養ケアの資料を探す場合、農林水産省が公表している「食育推進白書」や「農作業と健康に関する調査報告書」も参考になります。
参考:農業従事者の健康管理に関するデータが掲載されています。
農林水産省「令和6年度 食育推進白書 第2節 地域や職場における食育の推進」