アルツハイマー病の最初の引き金とされるのが、アミロイドベータ(Aβ)というタンパク質の脳内蓄積です 。このタンパク質は、本来誰の脳にも存在する「アミロイド前駆体タンパク質(APP)」という物質が代謝される過程で生まれます。通常であれば、ゴミとして分解・排出されますが、加齢や遺伝的要因により排出が追いつかなくなると、脳内で凝集を始めます 。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10128090/
アミロイドベータが蓄積するプロセスは、非常に微細な分子的メカニズムによって進行します。
認知症予防と糖質の関係:インスリン抵抗性がアミロイドベータ分解を阻害するメカニズム
このアミロイドベータの蓄積は、認知症の症状が出る15年から20年も前から始まっていることが明らかになっています 。つまり、50代、60代の働き盛りの時期に、脳内では静かに「ゴミ」が溜まり始めています。特に、インスリン分解酵素はアミロイドベータの分解も担っているため、高血糖状態でインスリンが過剰に分泌されると、酵素がインスリン処理にかかりきりになり、アミロイドベータの掃除がおろそかになるという説も有力です 。
アミロイドベータが「脳のシミ」なら、タウタンパク質は「神経細胞の崩壊」を招く死神のような存在です。タウは本来、神経細胞の中で物質輸送のレールとなる「微小管」を安定させる役割を持つ、非常に重要なタンパク質です 。しかし、アミロイドベータの蓄積などのストレスが引き金となり、タウに異常が起こります。
参考)https://www.abcam.co.jp/neuroscience/beta-amyloid-and-tau-in-alzheimers-disease
タウタンパク質が病的な変化を遂げるプロセスは以下の通りです。
参考)アルツハイマー病テキスト
AMED:タウタンパク質が脳から除去される新たなメカニズムの研究成果
興味深いことに、アミロイドベータの蓄積がタウの異常化を促進するという「アミロイドカスケード仮説」が長年支持されてきましたが、最近の研究では、これらは独立して動いている可能性や、炎症反応が仲介している可能性も指摘されています 。タウの病変は、記憶を司る「海馬」周辺から始まり、大脳皮質全体へと広がっていく特徴があります。この広がり方が、アルツハイマー病の症状進行(物忘れから始まり、見当識障害、判断力低下へ)とリンクしています。
参考)アルツハイマー病の原因物質とは – アミロイドβ…
| プロセス | タンパク質 | 発生場所 | 影響 |
|---|---|---|---|
| 第一段階 | アミロイドベータ | 細胞外 | 毒性オリゴマー形成、シナプス機能障害 |
| 第二段階 | タウ | 細胞内 | 微小管の崩壊、神経原線維変化、細胞死 |
| 最終結果 | 脳萎縮 | 脳全体 | 認知機能の不可逆的な喪失 |
「寝る子は育つ」と言いますが、大人にとっては「寝る人はボケない」が真実かもしれません。アルツハイマー病の原因タンパク質を脳から物理的に洗い流すシステムとして、近年注目されているのが「グリンパティック系(Glymphatic System)」です 。
参考)脳の炎症が認知症の原因に?タウタンパク質が脳炎症を引き起こす…
脳には体のようなリンパ管が存在しないと長年考えられてきましたが、実は脳脊髄液が脳実質内に染み渡り、老廃物を回収して静脈へ流すという独自の洗浄システムがあることが発見されました。このシステムが最も活発に働くのが、睡眠中です。
KAKEN:REM睡眠による異常タンパク質排出増加とアルツハイマー病の関連研究
農業や肉体労働に従事する方は日中の活動量が多いですが、身体的な疲労と脳の疲労は別物です。身体が疲れていても、アルコールの過剰摂取や就寝前のスマホ操作などで睡眠の質を下げてしまうと、脳の「掃除」は行われません。日中の作業効率を維持するためだけでなく、将来の脳を守るためにも、7時間程度の質の高い睡眠を確保することは、最も安上がりで強力な予防策と言えます 。
アルツハイマー病は脳の病気ですが、実は口の中の環境がその発症に大きく関わっているという衝撃的な事実が明らかになっています。特に注目されているのが、歯周病の原因菌である「ポルフィロモナス・ジンジバリス菌(Pg菌)」です 。
参考)https://researchmap.jp/matsumoto.hideki/misc/46405847/attachment_file.pdf
なぜ口の中の菌が脳のタンパク質に影響を与えるのでしょうか?そのルートは主に2つあります。
歯周病菌Pg菌が脳内のタウタンパク質異常を引き起こすメカニズム
さらに恐ろしいことに、Pg菌による炎症はアミロイドベータだけでなく、タウタンパク質のリン酸化も促進させることが動物実験で確認されています 。つまり、歯磨きをサボり歯周病を放置することは、間接的に脳内に原因タンパク質を工場のように量産させていることになります。
歯を失う本数が多いほどアルツハイマー病のリスクが高まるというデータもあります 。農業従事者の方は繁忙期に歯科通院がおろそかになりがちですが、定期的な歯石除去や口腔ケアは、単に歯を守るだけでなく、脳を守るための重要な投資なのです。
長年、アルツハイマー病は「治らない病気」とされてきましたが、原因タンパク質に直接働きかける新薬の登場により、その常識が覆りつつあります。その代表格が「レカネマブ(商品名:レケンビ)」です。
これまでの認知症薬(ドネペジルなど)は、低下した神経伝達物質を補う「対症療法」であり、病気の進行そのものを止めることはできませんでした。しかし、レカネマブは「疾患修飾薬」と呼ばれ、原因物質であるアミロイドベータそのものを標的とします。
理化学研究所:アルツハイマー病悪性化に関わるタンパク質と創薬ターゲット
今後は、アミロイドベータだけでなく、タウタンパク質の蓄積を抑える薬や、脳内の炎症を抑える薬、さらにはiPS細胞を用いた再生医療の研究も進んでいます 。しかし、最も確実なのは「薬に頼らざるを得なくなる前に予防する」ことです。
参考)アルツハイマーになりやすい人の生活習慣|認知症・初期症状・予…
アミロイドベータやタウといった原因タンパク質は、私たちの生活習慣の結果として蓄積します。
参考)https://www.taiyo-seimei.co.jp/net_lineup/colum/ninchi/009.html
これらを組み合わせることで、原因タンパク質の蓄積に対抗できる「脳の予備能(コグニティブ・リザーブ)」を高めることができます。アルツハイマー病の原因タンパク質との戦いは、特効薬を待つことではなく、日々の生活の中で始まっています。