『ザ・ノンフィクション』で注目を集めた「きらら」さんは、地下アイドルとしてステージに立つ一方、日雇いの肉体労働をしながら生活を成り立たせていた人物として描かれました。番組(2017年放送回として紹介されることが多い「しっくりくる生きかた」)の紹介文では、格安の風呂なしアパート暮らし、主食が鳥のエサ用の“くず米”、そして約450万円の借金が強調されています。これらは「極端な節約」ではなく、借金返済と不安定就労が重なったときに起きうる“生活防衛の末端”として提示され、視聴者に強い印象を残しました。
また、番組紹介では「24歳まで男性として生きてきた過去」や、自身が“しっくりくる”感覚を大事にして居場所を探していく姿が軸になっており、単なる苦労話ではなく「自己像と生活の折り合い」がテーマとして置かれています。実際、フジテレビの公式YouTube配信(限定配信として再掲された動画)でも、当時の状況説明として、日雇い解体業、くず米、借金、事故などが要約されています。
一方で、こうした番組は編集によってストーリーの起伏が強調されやすく、「その人のすべてがあの1時間に入っている」とは限りません。検索で出てくる“伝説的シーン”だけを切り出して評価すると、当事者の現在像を見誤ります。したがって本記事では、放送の概要は押さえつつ、のちの取材記事や本人発信で補助線を引きながら「現在」を確認していきます。
放送内容(公式の番組紹介要約)の参考:番組の狙い・当時の状況説明
https://www.youtube.com/watch?v=i5scV9vD9Tg
番組で象徴的に扱われたのが「借金」と「食生活」です。週刊女性PRIMEの取材記事では、放送当時、450万円の借金、家賃2万9000円の部屋、年収200万円ほどで、その大半が返済に消えていたという背景が整理されています。さらに“くず米”を食べる場面が衝撃として語られる一方で、本人の生活設計は「見た目のインパクト」ではなく、返済を最優先する意思決定の連続だったことが読み取れます。
そして重要なのは、現在に至るまでの「借金の扱い」がどう変化したかです。近年のインタビューとして配信された記事では、放送があった年の終わり頃に自己破産をし、翌年に免責許可が下りて返済義務がなくなった、という本人の説明が掲載されています。これは、単に“借金が消えた”という話ではなく、事故や収入低下、追加借入が難しくなるなど、返済のサイクルが崩れたことで「迷惑をかける前に止める」という判断に至った、という経緯が語られています。
農業従事者の目線で見ると、ここには「返済を優先しすぎると、生活の復元力が落ちる」という教訓があります。例えば、機械更新や資材高騰でキャッシュが細ると、食費・燃料・医療費のような“削りすぎると戻らない支出”から先に削ってしまいがちです。きららさんの話題が刺さるのは、派手な暮らしではなく、ぎりぎりの局面で人間がどこまで合理的に振る舞えるか、そしてどこで破綻するかが可視化されているからです。
借金・年収・住環境など放送当時の背景(取材ベース)の参考
https://www.jprime.jp/articles/-/29274?display=b
取材記事では、きららさんが現在も「単発の日雇い仕事」を続けていることが書かれています。具体例として、スーパーの棚卸し、運送会社での仕分け、イベント会場の準備設営など、現場系・短期系の仕事を渡り歩く形が紹介されています。番組内では解体現場が強い印象でしたが、現在は“体力勝負の単発労働”という枠の中で、仕事の種類が分散しているように見えます。
また、同じ取材内で印象的なのが「短髪黒髪の就労条件」への言及です。丸刈りにした理由として、精神的な落ち込みや批判の声だけでなく、就労条件への適合、さらにシャンプー代などコスト面も挙げています。ここは、生活が厳しいときに“美容”が贅沢に見えがち、という単純な話ではなく、働くための外見要件が現実に存在し、それが生活コストに直結している、という示唆です。
農の現場でも、雇用側・委託側が暗黙の前提として求める身だしなみや体調管理が、当事者のコストになります。例えば繁忙期の短期バイトでも、靴・手袋・雨具・替えの作業着など「初期装備」が必要で、日給が同じでも“手取り”は違う。きららさんの現在の働き方を読むと、仕事選びは賃金だけでなく、装備・移動・体力回復まで含めたトータルで判断されていることが伝わってきます。
「くず米」は番組を象徴するキーワードとして拡散しましたが、ここを農業従事者向けに掘ると、単なる“貧困の象徴”で終わらせるのはもったいない論点が出てきます。くず米は、人間用の主食として流通する米とは規格や用途が異なり、飼料用などの用途で扱われることがあるため、価格や売り場、入手経路が一般の消費者の認識とズレます。番組では“鳥のエサ用”として描写され、視聴者はショックを受けましたが、農のサイドから見ると「規格外・用途外の穀物が、経済状況によって人の食卓に流れ込む」現象でもあります。
現場感覚としては、米に限らず、規格外野菜・加工落ち・出荷調整品などは常に存在します。生産側は品質と信用を守るために行き先を分けますが、生活が厳しい側は“食べられるもの”を優先し、規格やストーリーを気にしなくなる。つまり、くず米の話題は「生産者が守っている線引き」と「生活者が越えてくる線引き」が交差する地点です。
さらに、食の選択肢が狭いとき、栄養や体調の波が仕事の継続に直結します。農作業でもそうですが、体が資本の労働では、食事の質が落ちると回復が遅れ、仕事の取りこぼしが増え、さらに食費を削る…という悪循環が起きます。きららさんの“くず米”が刺さるのは、感情的な衝撃だけでなく、こうした循環が誰にでも起こりうる現実を見せるからです。
検索上位の記事は「今どうしてる?」「結婚は?」「収入は?」のように、どうしても“近況の答え合わせ”に寄りがちです。しかし農業従事者向けのブログとして一歩踏み込むなら、きららさんの話題を「見られる労働」と「見られない労働」のギャップとして捉える視点が有効です。地下アイドルとしてステージに立つ時間は“見られる労働”で、反応(拍手・SNS・投げ銭等)が返ってきます。一方、棚卸しや仕分け、設営などは“見られない労働”で、評価は賃金に集約され、人格や背景は関係ない。
農業も同じ構造を持っています。直売所やSNS発信、体験農園、イベント出店などは“見られる農”で、物語や顔が価値になります。一方で、炎天下の草刈り、夜明け前の出荷調整、獣害対策、機械整備、帳簿と資金繰りは“見られない農”で、評価は成果物に吸収されがちです。きららさんの「しっくりくる」という言葉は、見られる/見られないの間を行き来しながら、自分が折れない居場所を探す感覚としても読めます。
そして、ここが意外に見落とされがちなポイントですが、“見られる側”に立つと、情報の切り取りや噂の流通に巻き込まれやすく、生活を守る難易度が上がります。農業でも、産地や個人が注目されると、誤解や炎上、無断転載、価格の詮索などが起きることがあります。だからこそ、発信で仕事を作るなら、守る線(住所・家族・取引先・健康情報)も同時に設計しないと続きません。きららさんの現在を追うことは、「目立つことが収入に直結する時代」に、生活と尊厳をどう守るか、という農の現場にも通じる問いを投げかけます。