漬物法改正の中心となっているのは、2021年6月に第3次施行が始まった食品衛生法改正で、ここで漬物製造業が新たに営業許可の対象業種に組み込まれました。
この改正では、従来は条例ベースの「漬物製造」の届出だけでよかった事業者も、保健所の審査を受けたうえで営業許可を取得することが求められるようになっています。
背景には、白菜の浅漬けやきゅうりの浅漬けを原因とする腸管出血性大腸菌O157の大規模食中毒事件があり、とくに2012年に北海道の浅漬け製造会社が製造した白菜浅漬けで169人が発症し8人が死亡した事故は社会に大きな衝撃を与えました。
参考)浅漬け原料白菜および白菜漬けに混入した大腸菌O157の挙動
また2014年には静岡市の花火大会露店で販売された「冷やしきゅうりの浅漬け」が原因となり、約500人規模のO157食中毒が発生し、露店での浅漬け販売リスクが改めて問題視されています。
参考)“ふるさとの味”手作り漬物が姿を消していく?販売の新たなルー…
研究機関の調査では、白菜浅漬けの原料段階で大腸菌が混入した場合、塩分濃度や温度によっては製造工程や販売中に菌が増殖しうることが示されており、従来の「家庭感覚」の衛生管理では防ぎきれないリスクが指摘されています。
参考)漬物による腸管出血性大腸菌O157食中毒と課題について - …
こうした事例を踏まえ、国は「漬物を含む高リスク食品の衛生基準を国際水準へ引き上げる」ことを目的に、HACCPの考え方を取り入れた衛生管理と営業許可制度の見直しをセットで進めたと説明しています。
参考)https://www.mhlw.go.jp/content/001206635.pdf
食品安全の専門家からは、漬物は「加熱しない」「生野菜」「長時間保存」という3つの条件が重なりやすく、腸管出血性大腸菌やサルモネラなどの細菌汚染に対してハイリスクな食品群に分類されるとされ、近年の世界的なHACCP義務化の流れとも合致した改正だと評価する声もあります。
参考)https://linkinghub.elsevier.com/retrieve/pii/S2405844023054403
一方で、漬物法改正が郷土食文化や小規模事業者の存続に与える影響の検証が十分とはいえないという批判も出ており、「食の安全」と「地域文化の継承」をどう両立させるかが大きな論点になっています。
参考)80歳女性の「生きがい」を奪う”食品衛生法の問題” 国の「漬…
漬物衛生に関する専門的な背景を詳しく知りたい場合は、浅漬け原料白菜におけるO157の挙動をまとめた農研機構の技術情報が参考になります(漬物のリスク評価の理解に有用)。
浅漬け原料白菜および白菜漬けに混入した大腸菌O157の挙動(農研機構)
改正後は、「販売目的で漬物を製造する行為」は、規模の大小を問わず原則として漬物製造業の営業許可が必要となり、道の駅や農産物直売所に並んでいる少量の手作り漬物も制度の対象になっています。
それまで自宅の台所で漬けた野菜をパックして道の駅に出していた高齢の農家などは、専用の加工場を新設するか、製造をやめて直売所から撤退するかという厳しい選択を迫られていると複数の報道が伝えています。
とくに問題になっているのが「住宅の台所での製造禁止」と「施設の構造基準」です。
改正後の運用では、家庭用キッチンと共用の調理スペースではなく、床材・壁材・手洗い・排水・虫対策など一定の衛生基準を満たした専用施設でなければ、営業許可が下りない運用が一般的になっています。
参考)漬物の衛生管理について|藤沢市
メディアの取材では、加工所の新設には数百万円規模の投資が必要になり、売上規模の小さい農家や加工グループでは採算が合わず、製造中止や業務縮小を選ぶ例が各地で出ているとされています。
参考)道の駅や直売所の漬物、販売ピンチ…6月以降許可制で製造やめた…
なかには「漬物製造をやめると直売所への出荷品目が大幅に減り、農家としてのモチベーションも下がる」といった声も紹介されており、漬物が副収入だけでなく、地域コミュニティや生きがいの面でも大きな役割を果たしてきたことが浮き彫りになっています。
参考)手作りの漬物が買えなくなる? 食品衛生法改定で6月から営業許…
一方で、漬物法改正を契機に、農家レストランや観光農園では「自家用・ふるまい用」と「販売用」で製造ラインをきちんと分け、販売用だけ営業許可施設で仕込むなどの運用を取り入れる例も出てきています。
参考)食品衛生法改正により岐路に立つ「漬物」 食文化を守る取り組…
直売所側も、出店者の製造体制や表示を一括してチェックする体制づくりに動いており、「安全な漬物だけを並べる」という新たなブランド価値を打ち出す動きもみられます。
参考)食品衛生法の改正について|豊田市
道の駅や直売所での影響を概観したい場合は、全国紙や地方紙の特集記事が状況をわかりやすく整理しています(農家・直売所へのインタビュー事例の把握に有用)。
漬物法改正後に販売目的で漬物を製造する場合、まず管轄の保健所に「漬物製造業」の営業許可申請を行い、施設の構造や設備が基準を満たしているか検査を受ける必要があります。
新たに定められた許可業種の一つとして、漬物製造業は公衆衛生への影響が大きい「高リスク業種」と位置付けられており、冷蔵設備、清潔な作業台、手洗い設備、防虫防鼠対策など、細かな構造基準がチェックされます。
さらに、改正食品衛生法では原則すべての食品等事業者に「HACCPに沿った衛生管理」の導入が求められ、漬物製造業者も例外ではありません。
参考)HACCP(ハサップ): HACCPの考え方を取り入れた衛生…
小規模事業者の場合は「HACCPの考え方を取り入れた衛生管理」として簡略化された手引書を使えるものの、作業手順書や記録の整備、危害要因の洗い出しなど、従来よりも体系的な管理が必須になります。
営業許可とHACCP対応を抜け漏れなく整理すると、典型的には次のようなポイントが重要になります。
参考)食品衛生法改正で「手作りお漬物」は製造販売が許可制に ピンチ…
こうした要件を満たせば、安全性の高い漬物を安定的に出荷できる一方で、小規模な家内工業レベルの事業者にとっては、設備投資や記録業務の負担が大きいことが指摘されています。
参考)製造許可制・・・どうなる?尾道の手作り漬物
そのため、自治体によっては漬物製造業者向けのHACCP導入セミナーや、手引書の配布、相談窓口の設置など、ソフト面での支援に力を入れている例も見られます。
参考)https://www.pref.tokushima.lg.jp/sp/tokuho/7211505/
具体的な衛生管理計画書の書き方や、簡略HACCPのひな形を知りたい場合は、厚生労働省が公開している手引書が非常に役立ちます(小規模事業者向けの記録様式の参考に有用)。
HACCPの考え方を取り入れた衛生管理のための手引書(厚生労働省)
漬物法改正では、改正前から漬物を製造・販売していた事業者に対し、2021年6月から2024年5月末までの3年間の経過措置期間が設けられ、この間に新しい営業許可へ切り替えることが求められました。
2024年6月1日以降は経過措置が終了し、許可を取得していない事業者は漬物製造を継続できないため、事実上「設備投資を行うか、撤退するか」の二択を迫られる構図になっています。
小規模事業者の現実的な選択肢として、報道などで取り上げられているパターンを整理すると、おおよそ次のようになります。
参考)手作りの漬物が買えなくなる?食品衛生法改正で販売が許可制に
| 選択肢 | 初期費用の目安 | 主なメリット | 主なデメリット |
|---|---|---|---|
| 自前で加工場を新設 | 数百万円規模になる例が多い | 自社ブランドの継続、衛生管理レベルの向上、他商品の加工にも転用可能。 | 投資回収に時間がかかり、高齢事業者や小規模農家には負担が重い。 |
| 既存加工場を改修 | 新設よりは抑えられるが、構造基準次第で高額になり得る | 現在の動線や設備を生かしつつ基準クリアを目指せる。 | 建物の構造上、どうしても基準を満たせない場合もある。 |
| 委託製造へ切り替え | 自前設備は最小限で済む | 許可取得済み工場にレシピを委託することで、衛生管理負担を軽減できる。 | レシピ流出の不安や、味の再現性・小ロット対応など交渉コストが発生。 |
| 漬物製造から撤退 | 新規投資は不要 | 法令違反リスクがなくなり、他の作目や加工に資源を振り向けられる。 | 郷土の味や顧客とのつながりが失われ、直売所の魅力低下につながる。 |
とくに高齢の個人事業主では、「あと何年続けるか」を考えたときに大きな投資に踏み切れず、漬物製造から撤退する判断に傾きやすいという指摘があります。
一方で、若手農家や六次産業化を進める法人では、今回の法改正を「本格的な加工ビジネスに踏み出すチャンス」と捉え、補助金や融資を活用してHACCP対応型の加工場を整備するケースも見られます。
経過措置や許可切替の公式な位置づけを確認したい場合は、厚生労働省の通知文書やQ&Aが分かりやすい根拠になります(施行日・経過措置期間の再確認に有用)。
食品衛生法改正による経過措置期間が終了します(厚生労働省PDF)
漬物法改正は小規模事業者にとって厳しい内容である一方、「一軒ずつ高価な加工場を整備するのではなく、地域で施設をシェアする」という発想に切り替えれば、コストと安全性のバランスを取りやすくなる可能性があります。
具体的には、農協や自治体、第三セクターなどが中心になってHACCP対応済みの共同加工場を整備し、会員農家が時間貸しで利用するモデルであれば、個々の農家は比較的少ない投資で漬物製造を続けることができます。
シェアキッチン型の共同加工場では、共通ルールとして「原料の受け入れ基準」「洗浄・殺菌手順」「記録の付け方」などを統一しておき、利用者はそのルールに沿って作業するだけで法令対応が自然と満たされるような仕組みづくりが重要になります。
このとき、自治体が配布する簡略HACCPの手引書や、保健所の指導内容をベースにルールを設計すれば、審査のハードルも下げやすくなります。
また、郷土漬物のレシピや製法を一人の名人だけが抱え込むのではなく、「地域の財産」としてマニュアル化し、若手農家や加工担当者に引き継ぐしくみを作っておくことも、法改正後の時代には重要です。
例えば、共同加工場の利用講習会で、伝統的な漬け方と現代的な衛生管理をセットで教えるカリキュラムを組めば、「昔ながらの味」と「最新の安全基準」を両立させた新しいスタイルの漬物づくりが育っていきます。
さらに、設備投資に必要な資金をクラウドファンディングや地域通貨などで募り、「この加工場ができれば、あなたの好きなあの漬物が将来も買えます」といったストーリーを消費者と共有する手法も考えられます。
消費者側が「郷土の味を守るパートナー」として参画すれば、単に規制に追われるだけでなく、地域ぐるみで漬物法改正を乗り越えていく前向きな動きにつながるでしょう。