芝生を管理する上で、その成長メカニズムを理解することは非常に重要です。特に「匍匐茎(ほふくけい)」と「地下茎(ちかけい)」の違いを正確に把握することで、適切な手入れの方法が見えてきます。これらは植物学的にはどちらも「茎」の一種であり、芝生が横方向へ生育範囲を広げるための重要な器官ですが、その性質と役割には明確な違いが存在します 。
参考)芝生のランナー(匍匐茎)とは
まず、匍匐茎(Stolon / ランナー)について詳しく解説します。匍匐茎とは、地表面を這うように横に伸びる茎のことを指します。一般的に「ランナー」と呼ばれることが多く、園芸や農業の分野ではイチゴの繁殖などでも馴染み深い用語です。芝生においては、この匍匐茎の節(ふし)から新しい根と葉を出し、網の目のように地面を覆っていくことで、緻密なターフ(芝生面)を形成します 。
参考)▼ 芝にズーム・イン!からだのつくりと繁殖のしかた。
これに対し、地下茎(Rhizome)は、その名の通り地中を横に伸びる茎です。地表面からは見えませんが、土の中で強固なネットワークを形成し、地上部がダメージを受けても地下から再生する能力を芝生に与えます。地下茎は貯蔵器官としての役割も大きく、冬の休眠期や乾燥などの環境ストレスに耐えるための養分を蓄えています 。
参考)https://www.snowseed.co.jp/wp/wp-content/uploads/grass/202007-09.pdf
芝生の種類によって、これらの茎の持ち方が異なります。
参考)https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/documents/d/kyoiku/manual02
農業関係者や緑地管理者が特に注意すべきは、この成長パターンの違いに応じた管理です。例えば、匍匐茎のみで増えるタイプの場合、地表の茎を傷つけすぎると致命傷になりかねませんが、混合型や地下茎型であれば、ある程度強めの更新作業(サッチングやバーチカルカット)を行っても、地下からの再生が期待できます。逆に、これら混合型の芝生が畑や花壇に侵入した場合、地表のランナーだけを取り除いても、地中に残った地下茎から容易に再生してしまうため、防除が困難になる「難防除雑草」としての側面も持ち合わせています 。
芝生のランナー(匍匐茎)とは - 芝生の手入れ.com(匍匐茎と地下茎の構造的違いや、それぞれの役割について図解入りで詳しく解説されています)
芝生を育てていると、本来地面を這うはずの匍匐茎が、まるで空中に浮き上がるように伸びてくる現象によく遭遇します。これを放置すると、芝生の見栄えが悪くなるだけでなく、芝生自体の健康状態も悪化させる原因となります。ここでは、なぜランナーが浮いてしまうのか、そしてプロが行う「目土(めつち)」を使った処理テクニックについて深掘りします 。
参考)芝生からランナー(匍匐茎)が生えても大丈夫!正しいお手入れと…
なぜランナーは浮き上がるのか?
主な原因の一つは「サッチの蓄積」です。サッチとは、刈り取った芝のカスや枯れた葉、古い根などが分解されずに地表に堆積した層のことです。このサッチ層が分厚くなると、新しく伸びてきた匍匐茎が土壌表面に到達できず、サッチの上を這うようになります。サッチは保水性が低く乾きやすいため、そこに根を下ろそうとしても十分に水分や養分を吸収できません。結果として、ランナーは空中に浮いたような「棚落ち」状態となり、乾燥ストレスを受けやすくなります 。
参考)個人のお客様 詳細マニュアル(レベル別の準備・管理方法) -…
また、芝生の密度が高くなりすぎた場合も、茎同士が重なり合って行き場を失い、上方へと逃げるように伸びて浮き上がることがあります。
「浮いたランナー」への対処法:目土(Topdressing)
浮いてしまったランナーを落ち着かせ、再び健全な成長を促すための最も効果的な手段が「目土入れ」です。目土とは、芝生の上から薄く土や砂を撒く作業のことです。
目土の実践テクニック
目土には、一般的に「川砂」や「洗い砂」などの水はけの良い砂を使用します。粘土質の土は固まりやすく通気性を悪化させるため避けてください。
切断処理(バーチカルカット)の併用
あまりにもランナーが浮き上がりすぎている場合や、サッチが厚すぎる場合は、目土を入れる前に「バーチカルカット(垂直切り)」を行うのがプロの技です。これは、専用の機械やレーキを使って地表の余分なランナーやサッチを切り、掻き出す作業です。古いランナーを断ち切ることで、新しい芽の発生を刺激する「更新作業」としての効果もあります 。浮き上がって根付く見込みのない古いランナーは、思い切って刈り取ってしまい、その後に目土を入れて新しいランナーの発生を促す方が、長期的には美しいターフを作ることができます。
参考)芝生の密度はどう上げる?成長を促すお手入れのポイント
芝生からランナー(匍匐茎)が生えても大丈夫!正しいお手入れ(浮いたランナーへの目土の重要性や、具体的なサッチングの手順が解説されています)
芝生の大きな魅力の一つは、種を撒かなくても、今ある芝生の体の一部(匍匐茎)を使って面積を拡大できる点です。これを「栄養繁殖(Vegetative Propagation)」と呼びます。特に高麗芝やバミューダグラスのような匍匐茎を持つ種類では、切り取ったランナーを移植することで、低コストかつ確実に芝生を増やすことが可能です。農業現場での法面緑化や、ゴルフ場の補修などでも日常的に行われている、プロの増殖テクニックを紹介します 。
参考)芝生のランナーを移植して増やすことはできる?
1. 苗床からのランナー採取
まず、元気な芝生エリアから匍匐茎を採取します。エッジ(端)部分に飛び出しているランナーは、処理ついでに採取できるので最適です。また、ターフの一部を切り出して土を落とし、ほぐして一本一本の茎に分ける方法もあります。採取するランナーは、節が青々としていて、乾燥していない元気なものを選びましょう。茶色く枯れかかっているものは活着率が下がります 。
2. 植え付け方法:蒔き芝法(Stolonizing / Sprigging)
採取した匍匐茎を新しい場所に植え付けるには、いくつかの手法があります。
3. 活着率を高める「水揚げ」と「保湿」
プロの裏技として、植え付け前の「水揚げ」があります。切り取ったランナーをバケツの水に数時間〜半日ほど浸けておきます。これにより茎が十分に吸水し、植え付け直後の乾燥ショックを和らげることができます。また、発根促進剤(メネデールなど)を希釈した水に浸けると、さらに成功率が上がります 。
植え付け後は、絶対に乾燥させないことが最重要です。最初の2〜3週間は、土の表面が乾かないように、毎日(夏場は朝夕2回)たっぷりと散水します。ランナーには根がまだ十分にないため、自力で水を吸う力が弱く、乾燥すると即座に枯死してしまいます。
4. 肥料によるブースト
新しい根が出始めたら(植え付けから2週間後くらい)、薄めの液体肥料や化成肥料を与えて成長を加速させます。特にチッ素成分は葉と茎の成長を促すため、匍匐茎の伸長(エロンゲーション)に効果的です。ただし、根が定着する前に高濃度の肥料を与えると「肥料焼け」を起こすので注意が必要です。
この栄養繁殖法は、種から育てるよりも初期成長が早く、親株と同じ遺伝的形質(色や耐性)を受け継ぐため、均一で美しい芝生を作ることができるのが最大のメリットです。
芝生のランナーを移植して増やすことはできる?(ランナーを水に浸ける水揚げ処理の有効性や、具体的な植え付け手順について解説されています)
匍匐茎の旺盛な繁殖力は、芝生を早く完成させるには頼もしい味方ですが、一度完成してしまうと、今度は花壇や砂利部分、隣家へと侵入する「厄介者」へと変わります。美しい庭を維持するためには、この「はみ出しランナー」を物理的に遮断する「根止め(Root Stop)」と、定期的な「エッジ処理(Edge Trimming)」が不可欠です 。
参考)◆芝生根止めのススメ ~レンガで芝刈りをらくちんに~ - ◆…
物理的防御:根止め板の設置
最も確実な方法は、芝生エリアとそれ以外のエリアの境界線に物理的な壁を作ることです。市販されている「根止め板」や「芝の根ストッパー」と呼ばれるプラスチック製の波板を使用します。
定期的メンテナンス:エッジカッターによる切断
物理的な壁を作っても、それを乗り越えたり、隙間から顔を出したりするランナーは必ず現れます。これらを放置すると、コンクリートの上に見苦しく伸びたり、花壇の植物に絡みついたりします。そこで必要なのが「エッジ処理(際刈り)」です。
プロの視点:侵入許容エリア(バッファゾーン)
完璧に侵入を防ぐのは難しいため、最初から「管理用通路」や「防草シート+砂利」といったバッファゾーン(緩衝地帯)を芝生の周囲に設けるのも賢い設計です。芝生の端が直接フェンスや壁に接していると、芝刈り機が入らず手作業でのカットが必要になりますが、バッファゾーンがあれば機械での管理がしやすくなり、はみ出したランナーの発見と処理も容易になります。
芝生根止めのススメ ~レンガで芝刈りをらくちんに~(レンガを使った根止めの実践例と、芝刈り作業を楽にするための工夫が紹介されています)
一般的に匍匐茎の管理は「見た目を整える」「増えすぎを防ぐ」という観点で語られがちですが、最新の芝草生理学の研究視点を取り入れると、匍匐茎の状態が芝生の「生存戦略」に直結していることが分かります。ここでは、検索上位の一般的な記事にはあまり書かれていない、匍匐茎の密度が生理学的にどのような意味を持つのか、その意外な重要性について解説します。
1. 炭水化物の貯蔵庫としての役割
匍匐茎は単なる繁殖器官ではなく、光合成で作られた炭水化物(デンプンや糖)の「貯蔵庫(ソース器官)」としての重要な機能を持っています 。特に暖地型芝生(高麗芝やバミューダグラス)において、秋に日が短くなり気温が下がってくると、芝生は地上部の成長を止め、余ったエネルギーを匍匐茎や地下茎に蓄え始めます。
参考)https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/09064710.2019.1639805
研究によると、匍匐茎の密度(重量密度)が高い芝生ほど、冬の間の貯蔵養分が豊富であり、翌春の萌芽(グリーンアップ)が早く、勢いが強いことが示唆されています 。つまり、秋口にランナーを適度に残し、光合成をしっかりさせて充実した匍匐茎を作らせることが、冬越しと春の立ち上がりの成功率を左右するのです。むやみに全てのランナーを切れば良いというわけではありません。
参考)https://acsess.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.2134/agronj2017.03.0187
2. クローン統合(Clonal Integration)によるストレス耐性
芝生は、匍匐茎でつながった個体同士がリソースを共有する「クローン統合」という能力を持っています。例えば、ある部分が日陰になったり、塩害や乾燥などのストレスを受けたりしても、匍匐茎を通じて条件の良い「親株」や隣接する「分身」から水分や光合成産物が送られてくるため、単独の株よりも生き残る確率が格段に高くなります 。
参考)https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0304423818304904
このメカニズムは、スポーツターフなどの過酷な環境で特に重要です。踏圧(踏みつけ)によって一部の葉が潰されても、健全な匍匐茎のネットワークが残っていれば、そこからエネルギーが供給され、急速な修復が可能になります。匍匐茎の密度が高いということは、この「相互扶助ネットワーク」が密であることと同義であり、それが高い耐踏圧性(Wear Tolerance)につながります。実際、バミューダグラスの品種比較においても、匍匐茎の密度や総延長が長い品種ほど、踏圧に対する回復力が高い傾向にあることが報告されています 。
3. 耐寒性とタンパク質の変化
さらに興味深いことに、寒冷ストレスにさらされた匍匐茎内部では、特定のタンパク質の発現パターンが変化し、凍結耐性を高めていることが分かっています。例えば、耐寒性の強いゾイシアグラス(日本芝の一種)の匍匐茎では、活性酸素を除去する酵素や、エネルギー代謝に関わるタンパク質が増加し、低温による細胞破壊を防いでいるという研究結果があります 。
参考)Comparative Proteomic Analysis…
これは、秋の管理において「カリウム」などの肥料を適切に与え、匍匐茎の細胞壁を強化し、生理的活性を高めておくことが、物理的な「根止め」以上に重要な「生理的メンテナンス」であることを意味しています。
このように、匍匐茎を単なる「伸びすぎた茎」として排除するのではなく、「養分のタンク」であり「セーフティネット」であると捉え直すことで、より科学的でロジカルな芝生管理が可能になります。特に冬の寒さが厳しい地域や、子供が走り回って踏圧がかかりやすい庭では、匍匐茎を健康に保つことが、年間を通じた緑の維持に不可欠です。
Rhizome and stolon development of bermudagrass(バミューダグラスの匍匐茎密度と耐寒性、春の回復力との相関関係に関する学術的研究論文です)