農業現場において「良い種(タネ)を残す」という行為は、翌年の収量と品質を決定づける最も重要なプロセスの一つです。その中でも「系統選抜(けいとうせんばつ)」は、近代的な品種改良の基礎となる技術であり、多くの主要農作物が生み出される過程で採用されています。単に良さそうな個体を選ぶだけの選抜とは異なり、その個体が持つ「遺伝する能力」を次世代の栽培試験によって検証(後代検定)し、本当に優れた遺伝子を持つ系統のみを選び抜く手法を指します。
この手法は、デンマークの植物学者ヨハンセンが提唱した「純系説」に基づいています。彼はインゲンマメの実験を通じ、外見上の大きさ(表現型)が同じでも、遺伝的な性質(遺伝子型)が異なる場合があることを証明しました。つまり、肥料や日当たりのおかげでたまたま大きく育った個体と、遺伝的に大きく育つ能力を持った個体を明確に区別するのが系統選抜の本質です。
育種の手法としてよく比較されるのが「集団選抜(マス・セレクション)」と「系統選抜」です。この二つは、選抜の精度と手間に大きな違いがあります。農業関係者が自家採種を行う際や、新しい品種を導入する際に、この違いを理解しておくことは極めて重要です。
集団選抜は、畑全体の中から望ましい形質を持つ個体を複数選び出し、それらの種子を混合して翌年に栽培する方法です。この方法は手軽で、多様な遺伝子を残せるため環境変化への適応力を維持しやすいというメリットがあります。しかし、最大の欠点は「環境変異」と「遺伝的変異」の区別がつかないことです。例えば、たまたま条件の良い場所に生えていて育ちが良かっただけの個体(遺伝的能力は平凡)を選んでしまうリスクが常にあります。そのため、品種としての均一性を高めるには非常に長い年月がかかります。
一方で系統選抜は、選抜した個体ごとに種子を別々に管理し、翌年はその個体ごとの列(系統)を作って栽培します。これを「系統栽培」と呼びます。もし、親個体が優秀な遺伝子を持っていれば、その子供たち(系統)は揃って優秀なはずです。逆に、親の良さが環境による偶然だった場合、子供たちの生育にはバラつきが出たり、平凡な育ちになったりします。このように、子供の世代の成績を見て親の遺伝能力を評価するプロセスを経るため、集団選抜に比べて圧倒的に早く、かつ確実に遺伝的な固定(純系化)を進めることが可能です。
農林水産省の研究機関による解説では、イネなどの主要穀物における育種プロセスの詳細が確認できます。
国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構:作物の育種技術の解説(品種改良の歴史と技術的変遷について詳しく記載されています)
系統選抜は、特にイネ、コムギ、ダイズなどの自家受粉作物において、その真価を発揮します。自家受粉作物は、自分の花粉で受粉するため、代を重ねるごとに遺伝子がホモ接合(対になる遺伝子が同じになる状態)になりやすく、自然と純系に向かう性質を持っています。系統選抜はこの性質を最大限に利用します。
最大のメリットは「品種の均一性」の確立です。農業経営において、収穫物のサイズ、味、成熟期が揃っていることは、出荷規格を満たすために不可欠です。系統選抜を経て確立された品種は、遺伝的に固定されているため、同じ環境で育てればほぼ同じように育ちます。これにより、機械による一斉収穫が可能になったり、品質のバラつきによる選別コストを大幅に削減できたりします。
また、「不良形質の淘汰」が確実に行える点も大きなメリットです。劣悪な遺伝子(病気に弱い、倒伏しやすいなど)が隠れていても、系統栽培を行えばその列全体、あるいは列の一部に欠点が現れます。集団選抜では見過ごされがちな劣性遺伝子の発現も、系統単位で観察することで発見しやすくなり、その系統ごと廃棄することで、集団全体から悪い遺伝子を効率的に排除できます。
意外と知られていない点として、一度確立された純系品種であっても、長年栽培し続けると突然変異や他家受粉の混入によって、わずかに遺伝的な乱れが生じることがあります。これを防ぐために、農業試験場などでは定期的に系統選抜を行い、品種の特性を維持(特性検定)しています。つまり、系統選抜は「新品種を作る」だけでなく、「既存の優良品種を守る」ためにも不可欠な技術なのです。
では、実際に系統選抜を行う場合、どのような手順で進められるのでしょうか。一般的な育種のフローを、農業現場の視点で具体的に解説します。このプロセスは通常数年から10年近くを要する長い道のりですが、ここではその基本骨格を紹介します。
1年目:個体選抜(選抜のスタート)
変異のある集団(交配した後代や、在来種の集団など)から、目標とする形質を持った優秀な個体を選びます。ここでは数千〜数万個体の中から、外見(草丈、穂の数、病害虫への強さ)で判断します。選んだ個体はそれぞれ別々に採種し、番号をつけて管理します。
2年目:系統栽培と系統選抜
前年に選んだ個体の種子を、1系統ずつ1列(または区画)に植えます。これを「系統」と呼びます。生育期間中、隣の系統と比較しながら観察します。
ここでは「個体」を見るのではなく「系統全体(列全体)」の出来を見ます。
3年目以降:生産力検定と特性検定
選抜された系統について、実際の収量性(生産力検定)や、味、耐病性などの詳細な特性(特性検定)を調査します。ここからは、より広い面積で栽培し、肥料条件を変えるなどして、その系統の実力を多角的にテストします。最終的に勝ち残った系統が、新品種として登録申請される候補となります。
個体選抜のポイントとしては、「極端に良すぎる個体」には注意が必要です。周囲の株が欠株して日当たりが良かっただけ(周縁効果)の可能性があるからです。プロの育種家は、畑の端の株は選ばず、競合状態にある中から抜け出ている優秀な個体を選びます。
ここでは、一般的な教科書にはあまり詳しく載っていない、「小規模農家や地域コミュニティが系統選抜を活用する独自視点」について解説します。近年、各地で注目されている「伝統野菜」や「在来種」の復活・ブランド化において、系統選抜は極めて強力なツールとなります。
在来種は、一般的にF1品種(一代雑種)に比べて形質のバラつきが大きく、市場流通に乗りにくいという課題があります。形が不揃いだと、箱詰めが難しく、飲食店でも使いにくいと敬遠されがちです。しかし、ここで諦めてF1品種に切り替えるのではなく、地域で「系統選抜」を継続的に行うことで、在来種の「味」や「風味」というアイデンティティを残したまま、「形」や「揃い」を劇的に改善することが可能です。
例えば、ある地域の「伝統ナス」があったとします。農家グループで協力し、毎年もっとも形が良く、かつその地域特有の味を持つ株から種を採り、系統栽培を行って相互に評価し合います。これを数年繰り返すことで、「〇〇地域のナスは、在来種なのに形が揃っていて使いやすい」という市場評価を獲得できます。これは、大手種苗メーカーが開発する全国一律の品種ではなく、その土地の気候風土に最適化(局所適応)された、世界に一つだけのオリジナル品種を作り上げることと同義です。
実際に、地域おこしの一環として、農家と農業試験場が連携して在来作物の系統選抜を行い、数年かけて「地域ブランド品種」として復活させた事例は少なくありません。系統選抜は、単なる科学技術ではなく、地域の食文化と農業経営を守るための「資産形成」の手法とも言えるのです。重要なのは、選抜基準(何を残し、何を捨てるか)を地域の生産者間で共有し、ぶれないことです。
種苗法や自家増殖に関する公的なルールについては、以下のリンクが参考になります。登録品種と在来種の扱いの違いを理解する上で重要です。
農林水産省:種苗法の改正について(自家増殖のルールや育成者権についての公式情報)
万能に見える系統選抜にも、明確なデメリットや限界が存在します。これを理解せずに選抜を続けると、かえって品種の活力を奪ってしまう「近交弱勢」のような事態を招く恐れがあります(ただし、自家受粉作物は近交弱勢が起きにくいとされています)。
1. 多大な労力とスペースが必要
系統選抜を行うには、数千〜数万という個体を観察し、それらを系統ごとに分けて管理し、収穫・脱穀・調整まで混ざらないように個別に行う必要があります。これにかかる労力と、試験栽培のための圃場スペースは膨大です。一般の生産農家が片手間で行うにはハードルが高く、組織的な取り組みが必要です。
2. 選抜の限界(プラトー)
系統選抜は、あくまで「その集団の中に元々存在する遺伝子の組み合わせ」の中からベストなものを選び出す作業です。つまり、元々の集団にない能力(例えば、全く新しい病気への抵抗性など)を新たに生み出すことはできません。選抜を繰り返すと、やがて改良の効果が頭打ちになる時期が来ます。これを打破するには、異なる品種を人工交配(交雑育種)して、新たな遺伝的変異を取り込む必要があります。
3. 遺伝的多様性の喪失リスク
純系化を進めるということは、遺伝子を均一にすることです。これは品質の安定には寄与しますが、裏を返せば「環境変化に対する柔軟性の喪失」を意味します。例えば、特定の冷害に弱い遺伝子で固定されてしまった場合、異常気象の年に全滅するリスクが高まります。均一性を追求する系統選抜と、多様性を維持する保全活動は、トレードオフの関係にあることを常に意識する必要があります。
現代の農業では、これらの限界を補うために、DNAマーカー選抜(ゲノム情報を利用して、幼苗の段階で遺伝子の有無を判定する技術)などのバイオテクノロジーと系統選抜を組み合わせることで、より効率的で精密な育種が行われるようになっています。