医療機器の安全な使用を担保する上で、最も基本的かつ重要な情報源となるのが「添付文書」です。かつては製品の箱の中に同梱されている「紙の説明書」というイメージが強かったものですが、近年の法改正により、その在り方は劇的に変化しました。農業分野でもドローンや自動走行トラクターなどの高度な機械導入が進んでいますが、医療機器においても同様に、技術の進歩に合わせた規制のアップデートが行われています。
特に、2021年(令和3年)8月の改正薬機法(医薬品医療機器等法)の施行に伴い、添付文書は原則として「電子化」されました。これにより、最新の知見に基づいた安全対策情報を、即座に医療現場へ届けることが可能になりました。しかし、この変更は単に「紙がなくなった」という物理的な変化だけではありません。記載すべき項目の順序や、表現のルール、さらには情報の管理方法に至るまで、極めて詳細な「記載要領」が定められています。
製造販売業者にとって、この記載要領を遵守することは法令順守(コンプライアンス)の基本であると同時に、製品事故を防ぐための防波堤でもあります。記載要領から逸脱した添付文書は、行政指導の対象となるだけでなく、万が一の事故の際に「適切な情報提供を行っていなかった」として、製造物責任(PL法)上の重大な過失を問われるリスク要因ともなり得ます。本記事では、厚生労働省やPMDA(独立行政法人医薬品医療機器総合機構)が発出している最新の通知に基づき、実務担当者が特に注意すべきポイントを深掘りして解説します。
近年の医療機器添付文書を取り巻く環境の中で、最大の変化点は「電子化」への完全移行です。これは、2019年(令和元年)の薬機法改正に基づき、2021年8月から施行されたものです。この改正の核心は、これまで「製品に同梱される紙」が正本(法的に有効な文書)であったのに対し、PMDAのホームページ等の「ウェブ上に掲載された電子データ」が正本とみなされるようになった点にあります。
原則として、製品の容器や被包に紙の添付文書を同梱することは不要となりました。その代わり、製品の外箱等に「符号(GS1バーコード等)」を表示し、ユーザーがそれをスマートフォンやタブレットで読み取ることで、常に最新の添付文書にアクセスできる仕組みを整備する必要があります。これにより、改訂のたびに市場にある製品の紙を差し替えるという物理的なタイムラグが解消され、常に最新の安全情報がユーザーの手元に届くようになりました。
すべての医療機器で紙が廃止されたわけではありません。家庭用マッサージ器や体温計など、一般消費者が直接購入・使用する医療機器(一般用医療機器等)については、引き続き紙の添付文書(または取扱説明書)の同梱が義務付けられています。これは、一般消費者が必ずしもデジタル環境に精通しているとは限らないため、情報の確実な伝達を優先した措置です。
電子化された添付文書を閲覧するためのアクセスポイントとして、製品の容器等にGS1コード(一次元バーコードまたは二次元コード)の表示が必須となりました。専用のアプリ「添文ナビ」などでこのコードをスキャンすることで、PMDAのデータベースにある該当製品のページへ直接リンクする仕組みです。この符号の印刷品質や配置場所にも細かい規定があり、読み取り不良が起きないような配慮が求められています。
厚生労働省:医療機器の電子化された添付文書の記載要領について(薬生発0611第9号)|電子化に伴う具体的な記載ルールや様式が詳細に規定された通知の全文です。
添付文書の記載要領において、改正により大きく変わったのが「項目の記載順序」です。従来の記載要領では「形状・構造」や「使用目的」が前方に配置されていましたが、新しい記載要領(2017年通知、2021年適用)では、安全性に関する情報が最上位に来るように再構成されました。これは、医療従事者や使用者が、使用前に必ず確認すべきリスク情報を直感的に把握できるようにするための措置です。
具体的には、以下の順序で記載することが原則とされています。
特に重要なのが、「警告」および「禁忌・禁止」の位置です。これらが「形状・構造」よりも前に配置されたことは、行政がいかに「リスク情報の見落とし防止」を重視しているかの表れです。作成者は、単にテンプレートを埋めるのではなく、自社製品のリスク評価(リスクマネジメント)の結果に基づき、本当に伝えるべき危険情報が冒頭に来ているかを再確認する必要があります。
また、「使用上の注意」の中にも階層構造があります。「重要な基本的注意」は、使用の前提となる重要な判断基準(例:熟練した医師のみが使用すること等)を記載し、「不具合・有害事象」では過去に報告された事例や起こりうるリスクを具体的に列挙します。これらの情報は、承認申請時の資料と完全に整合性が取れている必要があり、一言一句の齟齬が許されない厳密な文書作成能力が求められます。
PMDA:医療機器の添付文書の記載要領に関するQ&A|記載順序の例外や具体的な運用上の疑問点に対する回答集です。実務的な判断に迷った際に参照します。
「電子化」の実務対応において、最も現場が混乱しやすいのが「符号(GS1コード)」の運用と、電子データ(XML形式等)のPMDAへの登録プロセスです。単にPDFを作ってアップロードすれば良いわけではなく、データ構造化された形式での登録が求められるケースが増えています。
医療機器の包装には、世界標準であるGS1規格のバーコードを表示します。一般的には、輸送用外箱には「GS1-128」、製品個装箱には「GS1-128」またはスペース効率の良い「GS1 DataMatrix(二次元コード)」が使用されます。このコードの中には、商品識別コード(GTIN)だけでなく、有効期限や製造ロット番号といった変動情報を含めることが推奨されています。添付文書の電子閲覧システムは、このGTIN(JANコード等の集合包装用コード含む)をキーとして、PMDAのデータベースから該当するドキュメントを呼び出します。したがって、製品ラベルのコードと、PMDAに登録するコード情報が完全に一致していなければ、ユーザーは「情報が見つからない」という致命的なエラーに直面することになります。
GS1 Japan(一般財団法人流通システム開発センター)などが提供・推奨するスマートフォンアプリです。医療従事者はこのアプリを使って製品のバーコードをスキャンし、添付文書を閲覧します。作成者側の注意点として、このアプリ経由で表示された際、スマートフォンなどの小さな画面でもストレスなく読めるようなレイアウトや文字量を意識する必要があります。紙のA4サイズを前提とした長大な文章は、スマホ画面ではスクロールが多すぎて読まれないリスクがあります。箇条書きを多用し、視認性を高める工夫が、間接的に記載要領の意図(情報の確実な伝達)を満たすことになります。
PMDA:添付文書等の届出・公表手続きについて|電子化された添付文書の登録方法や、SGML/XML形式での提出要件に関する技術的なガイドラインが網羅されています。
添付文書の文章を作成する際、最も注意すべきは「曖昧さの排除」と「製造物責任(PL)法への対策」です。記載要領は「何を項目として立てるか」を規定していますが、「どう書くか(Writing Style)」については、作成者の倫理観とリスク管理能力に委ねられています。
まず、PL法の観点から、「使用者が予見可能な誤使用」に対する警告は必須です。例えば、農業機械でも「エンジン稼働中に手を入れるな」という当たり前の警告があるように、医療機器でも「電源を入れたままケーブルを抜かない」といった、開発者にとっては自明の理であっても、ユーザーにとってはやりがちなミスを「禁忌」や「注意」として明文化しなければなりません。ここで重要なのが、「~しないことが望ましい」といった曖昧な表現を避けることです。「~してはならない(禁止)」なのか、「~しないよう注意すること(注意)」なのか、リスクのレベルに応じて断定的な表現を使い分ける必要があります。
また、文字の大きさ(フォントサイズ)についても、かつての紙媒体時代には「8ポイント以上」という目安(通知等のガイドライン)が存在しましたが、電子化においても「可読性」は担保されなければなりません。高齢の医療従事者や、緊急時の薄暗い処置室で閲覧される可能性を考慮し、専門用語の羅列ではなく、ユニバーサルデザインフォント(UDフォント)の使用や、行間の確保など、デザイン面での配慮も「記載要領」の精神に含まれます。特に「警告」欄は、赤色枠で囲むだけでなく、色覚多様性に配慮し、色だけに頼らない強調(太字やアイコンの併用)を行うことが、近年の安全管理のトレンドとなっています。
さらに、カタログや販促資料(プロモーション資材)との整合性も重要です。添付文書には「承認された効能・効果」しか書けませんが、販促資料でそれを逸脱した表現(オーバープロミス)をしてしまうと、薬機法第66条(誇大広告の禁止)違反となります。添付文書は、全ての販促活動の「憲法」のような存在であり、営業担当者が語る言葉も、原則として添付文書の範囲内でなければならないという鉄則を忘れてはいけません。
最後に、従来の規制対応の枠を超えた、独自かつ重要な視点として「ユーザビリティエンジニアリング(人間工学)」との連携を挙げます。記載要領はあくまで「最低限守るべきルール」であり、それを満たしていれば「使いやすい添付文書」になるわけではありません。検索上位の記事の多くは規制の解説に終始していますが、現場で本当に役立つ添付文書を作るためには、JIS T 62366-1(医療機器のユーザビリティエンジニアリングへの適用)の考え方を取り入れる必要があります。
医療事故の多くは、機器の故障ではなく、ユーザーの操作ミス(ヒューマンエラー)によって引き起こされます。そして、そのヒューマンエラーの背後には、「分かりにくい添付文書」「誤解を招く表示」が存在することが少なくありません。
記載要領に沿って情報を詰め込むだけでなく、情報の「優先順位」を視覚的にデザインすることが重要です。例えば、操作手順の説明において、テキストだけで10ステップを記述するよりも、フローチャートや図解を挿入することが推奨されます(ただし、図解も承認審査の対象となるため、正確性が求められます)。
その医療機器を使用するのは誰か? 専門医か、看護師か、臨床工学技士か、あるいは患者自身か。ターゲットによって理解できる用語のレベルは異なります。記載要領では「医学用語」の使用が基本とされていますが、患者向け(在宅医療機器など)の取扱説明書や注意書きにおいては、専門用語を噛み砕いた表現(例:「浮腫」→「むくみ」)を併記するなどの配慮が、結果として安全性を高めます。
添付文書の作成を単なる「行政への提出書類作成」と捉えるのではなく、「ユーザーとの重要なコミュニケーションツール」と捉え直すこと。これこそが、記載要領の形式要件をクリアした上で、さらに一歩進んだ「安全な医療機器」を提供するための鍵となります。規制の枠組みの中で、いかにユーザーフレンドリーな情報提供ができるか、その工夫の余地はまだ多く残されています。
PMDA:医療機器のユーザビリティエンジニアリングに係る基本要件基準の適用について|添付文書を含むユーザーインターフェースが、いかに誤使用を防ぐ設計になっているかを確認するためのガイドラインです。