農業従事者が「ゲラニオール 毒性」を調べるとき、最初に押さえるべきは“強い急性毒”かどうかよりも、皮膚に対する刺激性と、アレルギー化(感作)の起こりやすさです。厚生労働省「職場のあんぜんサイト」のモデルSDSでは、ゲラニオールは皮膚腐食性/刺激性が区分2、皮膚感作性が区分1、特定標的臓器毒性(単回ばく露)が区分3(麻酔作用)として整理されています。
つまり、少量で即死するタイプの物質というより、繰り返しの接触や濃い液の付着により、皮膚炎・発疹・かゆみなどのトラブルが積み上がりやすい性格だと理解するのが実務的です。
ここで現場的に重要なのは、GHSが示す危険有害性の文章が「可燃性液体」「皮膚刺激」「アレルギー性皮膚反応」「眠気又はめまいのおそれ」と、作業中のヒヤリ・ハットに直結する形で並んでいる点です。
参考)https://anzeninfo.mhlw.go.jp/anzen/gmsds/106-24-1.html
特に「感作」は一度成立すると、次回以降はごく微量でも反応が出る可能性があるため、最初の数回の取り扱いが“将来の体質化”を左右しやすい、と現場教育で強調する価値があります。
急性毒性の数値も、誤解されやすいので整理します。厚生労働省のモデルSDSでは、経口LD50(ラット)は3600 mg/kg bw、経皮LD50(ウサギ)は>5000 mg/kg bwとされ、急性毒性としてはGHS上「区分外」の扱いです。
BASFのSDSでも、ラット経口LD50が3600 mg/kg、ウサギ経皮LD50が>5000 mg/kgと同様の数値が示されています。
ただし農業現場で問題になるのは、ふつう“わざわざ飲む・大量に飲む”状況ではなく、希釈・充填・噴霧・器具洗浄などで皮膚に付く、目に入る、ミストを吸う、といった小さなばく露の反復です。
したがって「LD50が高い=安全」という結論に短絡せず、皮膚刺激(区分2)と感作(区分1)に合わせた対策(手袋・保護眼鏡・汚染衣類の隔離)へ優先的に資源を振り向けるのが合理的です。
また、単回ばく露で“眠気又はめまい”の可能性が示されている点は、散布作業と相性が悪い注意点です。
脚立・ハウス内の移動・用水路付近など、転倒が事故に直結する場所では「薬剤の毒性=中毒」だけではなく「ふらつき=労災」も含めてリスク評価するのが、現場運用としては強いです。
ゲラニオールは液体で、吸入(蒸気)や吸入(ミスト)のデータが十分ではない、とSDS上で「分類できない」とされる項目があります。
一方で同じモデルSDSには、ラット4時間ばく露のTCLoが0.5 mg/Lとして記載があり、吸入ルートの情報が“ゼロではない”ことも示されています。
農業の実態に合わせて言い換えると、自然に少し香る程度の蒸気よりも、噴霧や攪拌で生じる微細な液滴(ミスト)が、鼻・喉・目に当たることで刺激や不快感を起こしやすい、という見立てになります。
そのため対策は「高性能マスクを常時」よりも、まず局所排気・換気、噴霧条件(ノズル、圧力、風向き)の最適化、保護眼鏡の着用、が優先されやすい構造です。
さらに、単回ばく露で区分3(麻酔作用)=眠気・めまいの恐れが示されている以上、密閉気味のハウス内、タンク近くでの長時間作業、車内での薬剤保管など「気化した成分が滞留しやすいシーン」を避ける設計が効きます。
現場の意外な落とし穴として、散布後に“汚染した手袋や防除衣を着たまま休憩所に入る”行為がありますが、これは本人の皮膚ばく露だけでなく、周囲への二次汚染(椅子、ドアノブ、スマホ)を増やし、感作成立の確率を上げかねません。
ゲラニオールは香料成分として知られますが、農薬用途の文脈でも毒性評価が行われています。食品安全委員会の「食品安全関係情報詳細」では、オーストラリア農薬・動物用医薬品局(APVMA)がゲラニオールの毒性学的評価を終え、許容一日摂取量(ADI)を0.5 mg/kg体重/日としたことが紹介されています。
同資料では、単回投与に由来すると考えられる急性神経毒性や、その他の毒性学的に関連する影響が見られないことを根拠に、一般集団に対する急性参照用量(ARfD)を設定する必要はないと判断した、という整理も示されています。
ここが「意外な情報」になりやすい点で、現場では“天然由来=無毒”と誤解されがちですが、規制当局の評価は「摂取が一定量を超えないよう管理する」という、量の概念で運用されています。
農業従事者にとっては、作物残留の議論はもちろん重要ですが、同じくらい「調製担当者が原液を扱う時間・頻度」を減らす工夫(計量の自動化、原液を小分けしない、原液の拭き取りルール化)が、健康影響の予防として効きます。
参考:APVMA評価に基づくADI(0.5mg/kg体重/日)やARfD不要の整理(毒性評価の位置づけ)
食品安全委員会 食品安全関係情報詳細(APVMA公報No.13の要約)
検索上位の説明では「皮膚刺激」「皮膚感作」「眠気・めまい」といった分類の羅列で終わりがちですが、現場でじわじわ効くのは“香りに慣れることで危険認知が下がる”現象です。臭いの閾値(検知:4〜75 ppb)が示されるように、ゲラニオールは微量でも香りとして認識されやすい一方、同じ香りを嗅ぎ続けると人は慣れて「今日は薄いから大丈夫」と誤判断しやすくなります。
ところが、皮膚感作(区分1)の問題は、空気中濃度の体感よりも、皮膚に付いたかどうか、濡れたまま放置したかどうか、で決まることが多いのが厄介です。
このズレを埋める実務のコツは、においではなく“接触した可能性”で動くルールを作ることです。たとえば次のように、簡単なチェックと対策をセットにすると継続しやすくなります。
✅ ルール例(香りではなく行動で判定)
・原液や高濃度液を扱ったら、においの有無に関係なく手袋交換。
・袖口・前腕・首まわりに付着した可能性がある日は、帰宅前に石けんで洗浄。
・「皮膚刺激」「発疹」が出たら、次回は同じ手袋・同じ作業手順を繰り返さない(感作成立の回避が目的)。
加えて、モデルSDSでは「汚染された作業衣は作業場から出さないこと」と注意書きが明記されており、作業着の持ち帰り洗いが二次汚染になる可能性も示唆されます。
農家・作業者の健康管理は“症状が出た人だけの問題”に見えますが、同居家族への接触機会(洗濯・抱っこ・寝具)まで広げると、汚染衣類の隔離と洗浄手順の整備が、結果的に職場のリスク低減としても効いてきます。
参考:ゲラニオールのGHS分類(皮膚刺激区分2、皮膚感作区分1、単回ばく露区分3など)と応急措置・保管・漏出時対応の具体
厚生労働省 職場のあんぜんサイト(ゲラニオール モデルSDS)