SDHI剤(コハク酸脱水素酵素阻害剤)は、現代の農業において最も重要な殺菌剤のカテゴリーの一つですが、その優れた効果の裏側で、耐性菌の発生リスクが常に懸念されています。この薬剤がどのように病原菌を殺菌し、なぜ効かなくなってしまうのか、その分子レベルでのメカニズムを深く理解することは、効果的な防除戦略を立てる上で極めて重要です。
まず、SDHI剤の基本的な作用機作について解説します。植物病原菌であるカビ(糸状菌)が生きていくためには、私たち人間と同じように呼吸を行い、エネルギーを産生する必要があります。このエネルギー産生の工場となるのが、細胞内にある「ミトコンドリア」です。ミトコンドリア内には、TCAサイクル(クエン酸回路)と呼ばれるエネルギー代謝の回路が存在し、その中で「複合体II(コハク酸脱水素酵素)」という酵素が重要な役割を果たしています。SDHI剤は、この複合体IIの特定部位に鍵と鍵穴の関係のように結合し、酵素の働きを完全にブロックします。これにより、病原菌はエネルギーを作ることができなくなり、呼吸が停止して死滅します。これがSDHI剤の高い殺菌力の源泉です。
しかし、病原菌もただ死滅するのを待っているわけではありません。広大な圃場の中には、天文学的な数の菌が存在しており、その中にはごく稀に遺伝子のコピーミス、つまり「突然変異」を起こしている個体がいます。SDHI剤耐性菌の問題は、この複合体IIを構成するタンパク質(サブユニットB、C、Dなど)の遺伝子に、わずかな変異が生じることから始まります。
具体的には、SDHI剤が結合するはずの「鍵穴」の形状が、アミノ酸の置換によって微妙に変化してしまうのです。例えば、灰色かび病菌においては、コハク酸脱水素酵素のサブユニットBにある272番目のヒスチジンというアミノ酸が、チロシンやアルギニン、ロイシンといった別のアミノ酸に置き換わる変異(H272Y、H272Rなど)が頻繁に確認されています。
この構造変化が起きると、これまでピタリとはまっていたSDHI剤(鍵)が、変形した鍵穴にはまらなくなります。その結果、どれだけ高濃度の薬剤を散布しても、酵素の機能は阻害されず、菌は平然と呼吸を続け、エネルギーを生産し続けることができるようになります。これが「耐性」を獲得した状態です。恐ろしいことに、一度この変異を獲得した菌が生き残ると、その子孫もすべて同じ耐性遺伝子を受け継ぎます。薬剤散布を行えば行うほど、感受性のある(薬が効く)菌だけが死に、耐性菌だけが選抜されて生き残るため、圃場内の菌密度における耐性菌の割合が爆発的に増加してしまうのです。
参考リンク:SDHI殺菌剤の開発動向と耐性菌発生の分子メカニズム(日本農薬学会)
現在、日本の農業現場においてSDHI剤耐性菌が特に深刻な問題となっているのが、野菜や果樹における「灰色かび病」と「うどんこ病」です。これらの病害は、施設栽培において湿度や温度条件が整うと爆発的に感染拡大するため、治療効果の高いSDHI剤への依存度が高くなりやすい傾向にあります。
灰色かび病における耐性菌の歴史は、2000年代半ばに発売されたボスカリド剤の使用後に急速に表面化しました。当時、ボスカリドは既存の薬剤(ベンゾイミダゾール系やジカルボキシイミド系など)に耐性を持つ菌にも劇的な効果を示したため、救世主として多くの産地で連用されました。しかし、その高い選択圧(菌を殺す力)があだとなり、使用開始からわずか2〜3年という短期間で、各地で耐性菌の出現が報告される事態となりました。現在では、イチゴ、キュウリ、ナス、トマトなどの主要な果菜類において、SDHI剤に対する感受性が低下した菌株が広範囲に定着していることが確認されています。特に施設栽培のイチゴやキュウリでは、耐性菌率が非常に高く、単剤での防除が困難なケースも珍しくありません。
一方、うどんこ病においても状況は予断を許しません。うどんこ病菌は、灰色かび病菌とは異なり、生きた植物細胞からしか栄養を摂取できない「絶対寄生菌」であるため、人工培地での培養や耐性検定が技術的に難しい側面があります。しかし、近年の遺伝子解析技術の進歩により、うどんこ病菌においてもSDHI剤の標的遺伝子に変異が生じていることが明らかになってきました。特にキュウリうどんこ病では、ボスカリドだけでなく、より新しい世代のSDHI剤に対しても感受性が低下した事例が報告されています。
さらに近年では、これら二大病害以外にも、キュウリの褐斑病やナスのすすかび病、トマトの葉かび病などでもSDHI剤耐性菌が確認されています。特に注意が必要なのは、これら複数の病害が混発している圃場です。例えば、うどんこ病を防除するためにSDHI剤を散布した結果、同時に存在していた灰色かび病菌に対しても淘汰圧がかかり、意図せず灰色かび病の耐性菌密度を高めてしまうという「ドリフト的な耐性化」のリスクです。現場では「特定の病気」だけを見るのではなく、圃場全体の菌相を意識した管理が求められるようになっています。
各都道府県の病害虫防除所が出す予察情報では、地域の耐性菌の発生状況に基づいた注意喚起が行われています。自身の地域でどの病害に対してリスクが高まっているのか、最新の情報を常にキャッチアップすることが重要です。
参考リンク:殺菌剤耐性菌の発生状況と対策について(宮城県病害虫防除所)
SDHI剤耐性菌対策を複雑にしている最大の要因が、「交差耐性(クロスレジスタンス)」の問題です。交差耐性とは、ある一つの薬剤に対して耐性を獲得した菌が、同じ作用機作を持つ別の種類の薬剤に対しても耐性を示す現象を指します。しかし、SDHI剤における交差耐性は非常に複雑で、生産者の皆様を悩ませる原因となっています。
SDHI剤は、国際的な殺菌剤耐性菌対策委員会(FRAC)の分類において、すべて「コード7」に分類されています。基本的には「同じコードの薬剤は連用しない」というのが鉄則ですが、SDHI剤グループ内には、化学構造の異なる多様な成分(ボスカリド、ペンチオピラド、フルオピラム、イソピラザム、ピラジフルミドなど)が含まれています。これらは全て同じ酵素(複合体II)を阻害しますが、酵素への「結合の仕方」や「結合の強さ」が微妙に異なります。
そのため、ある変異(例えばH272Y)を持つ耐性菌に対して、ボスカリドは効かなくなっても、フルオピラムは依然として高い効果を維持する場合があるのです。これを「不完全な交差耐性」と呼びます。逆に、ある変異パターンでは、グループ内のほぼすべての薬剤が効かなくなる「完全な交差耐性」を示すこともあります。
以下に、現場で意識すべき交差耐性のパターンを整理します。
特定の遺伝子変異により、ボスカリド、ペンチオピラド、イソピラザムなど、多くのSDHI剤に対して一律に感受性が低下するケース。これは最も警戒すべきパターンであり、コード7の薬剤全てが使用不可となる可能性があります。
フルオピラムなど一部の薬剤は、他のSDHI剤とは結合様式が若干異なるため、従来のSDHI剤耐性菌に対しても有効な場合があります。しかし、これを過信してフルオピラムを連用すれば、今度はフルオピラムに特化した新たな耐性菌を選抜してしまうリスクがあります。
近年開発されたピラジフルミドなどの新規SDHI剤は、既存の耐性菌に対しても高い効果を示すように設計されているものがあります。しかし、これらも作用点は同じであるため、頻繁に使用すれば最終的には耐性化する運命にあります。
農業現場で最も危険なのは、「名前が違うから大丈夫だろう」と考えて、アフィード(ペンチオピラド)の次にカンタス(ボスカリド)を散布し、その次にシグナム(ボスカリド+ピラクロストロビン)を散布するといった使い方です。これらは成分名こそ違いますが、菌から見れば「同じ攻撃」を受け続けているに過ぎません。RACコード(作用機構分類)を必ず確認し、コード7の薬剤を使った次は、コード3(DMI剤)やコード11(QoI剤)、あるいは多作用点の薬剤(有機銅など)へ必ず切り替える必要があります。
特に混合剤(プレミックス製剤)には注意が必要です。最近の優れた殺菌剤の多くは、SDHI剤とQoI剤(ストロビルリン系)の混合剤です。これらは非常に便利ですが、知らず知らずのうちにSDHI剤を連用していることになりかねません。商品パッケージの裏面にある有効成分系統を必ずチェックし、自分が今「コード7」を撒いているという強い自覚を持つことが、交差耐性による防除失敗を防ぐ唯一の手立てです。
参考リンク:殺菌剤の作用機構分類(RACコード)一覧(農薬工業会)
SDHI剤耐性菌の蔓延を防ぎ、長期的に安定した収量を確保するためには、個々の農家による徹底した「体系防除」と「ローテーション」の実践が不可欠です。耐性菌は一度発生してしまうと、完全に根絶することは極めて困難です。したがって、「耐性菌を発生させない」、あるいは「発生しても密度を低く抑え込む」戦略が求められます。
具体的な対策として、以下の4つの柱を推奨します。
最も基本的かつ重要な対策です。多くの指導機関では、SDHI剤の使用回数を「1作型あたり2回〜3回以内」に抑えるよう指導しています。耐性菌リスクが高い地域や品目では、「年1回」に制限する厳しいガイドラインを設けている場合もあります。ここでのポイントは、単剤だけでなく、混合剤に含まれるSDHI成分も1回としてカウントすることです。効果が高いからといって、予防散布から治療散布までSDHI剤に頼り切る防除体系は、自らの首を絞める行為に他なりません。
単に薬剤を変えるだけでなく、作用機作(RACコード)が全く異なる薬剤を挟むことが重要です。
予防 TPN剤(多作用点)→ 初期 DMI剤(コード3)→ 最盛期 SDHI剤(コード7) → 後半 アニリノピリミジン剤(コード9)→ 収穫前 重曹剤や微生物農薬
このように、SDHI剤を連続させず、間に必ず別の系統を挟むことで、耐性を持つ個体が生き残る確率を劇的に下げることができます。特に、耐性リスクが低いとされる「多作用点阻害剤(TPN、硫黄剤、銅剤など)」を体系に組み込むことは、耐性菌マネジメントの要となります。これらは切れ味こそ鋭くありませんが、耐性菌が発生しにくいため、菌密度全体のベースを下げるのに役立ちます。
薬剤のみに頼る防除には限界があります。耐性菌対策の基本は、そもそも「菌を増やさない環境作り」です。
病気が蔓延してから慌ててSDHI剤を散布する「治療的散布」は、大量の菌に対して薬剤を曝露することになるため、確率論的に耐性菌を選抜してしまうリスクが最大化します。病気が発生する前の、菌密度が低い段階で予防剤を使用し、SDHI剤はここぞというタイミング(例えば長雨の前や収穫のピーク時など)のために温存しておくという考え方が、賢い農家の常識となりつつあります。
最後に、SDHI剤耐性菌問題において、あまり一般には語られないものの、非常に重要な視点である「適応度コスト(フィットネス・コスト)」について解説します。これは、耐性菌が薬剤のない環境下で、感受性菌(普通の菌)と比べてどれだけ生き残る力があるか、という指標です。
通常、生物が突然変異によって薬剤耐性を獲得する場合、その代償として生理的な機能が一部低下することがあります。例えば、成長速度が遅くなる、胞子の形成量が減る、寒さに弱くなる、といったデメリットです。これを「適応度コストが高い」状態と言います。もしSDHI剤耐性菌の適応度コストが高ければ、薬剤散布を中止してしばらく放置しておくだけで、生存競争に負けた耐性菌は自然に減少し、再び感受性菌が優占する状態に戻るはずです。
しかし、SDHI剤耐性菌の厄介な点は、多くの変異パターンにおいて、この適応度コストが「無い」あるいは「極めて低い」という事実にあります。研究データによると、灰色かび病菌の主要な耐性変異株は、薬剤がない環境でも感受性菌と同じ速度で成長し、同じように胞子を飛ばし、元気に繁殖できることが確認されています。
これが何を意味するかというと、「一度圃場に定着したSDHI剤耐性菌は、薬剤散布をやめても、勝手には減らない」ということです。
かつての薬剤(例えばジカルボキシイミド系など)では、数年間使用を控えれば耐性菌密度が下がり、再び効果が復活する事例がありました。しかし、SDHI剤に関しては、この「休薬による回復」が期待しにくいという特性があります。耐性菌は、あなたが薬剤を撒こうが撒くまいが、ハウスの片隅や残渣の中で生き延び、虎視眈々と次の感染の機会を狙っています。そして、うっかりSDHI剤を散布した瞬間に、競合する感受性菌が一掃され、耐性菌だけが一人勝ちする環境が整ってしまうのです。
また、一部の研究では、特定の「二重変異(ダブルミューテーション)」を持つ菌株においてのみ、適応度コストが発生するという報告もありますが、現場レベルでこれを期待するのは楽観的すぎます。基本的には「SDHI剤耐性菌は、野生の菌と同等の生存能力を持っている強敵である」と認識すべきです。
この「消えない耐性菌」という現実があるからこそ、前項で述べた「物理的防除」による絶対数の削減や、多作用点剤による「無差別な菌密度の抑制」が、化学農薬のローテーション以上に重要になってくるのです。薬剤の力だけで解決しようとせず、生態学的な視点を持って菌との知恵比べに挑む姿勢が、これからの農業経営には求められています。
参考リンク:薬剤耐性菌の生態的適応度と管理技術(農業環境技術研究所)