農業現場で「ストロビルリン系」として親しまれている殺菌剤は、専門的な分類では「QoI剤(Quinone outside Inhibitors)」と呼ばれます。この系統の農薬は、1990年代に登場して以来、その劇的な効果で世界の防除体系を一変させました。しかし、製品名と有効成分名が一致しないことも多く、どの薬剤が同じ系統なのか混乱しやすいのが現状です。ここでは、日本の農業現場で頻繁に使用される主要なQoI剤農薬名を整理し、それぞれの特徴を深堀りします。
まず、最も代表的なのがアゾキシストロビンを有効成分とする「アミスター」シリーズです。世界で初めて実用化されたQoI剤の一つであり、野菜から果樹、水稲まで極めて広い登録作物を持っています。浸透移行性が高く、散布された葉から茎、そして新葉へと成分が移動するため、散布ムラをカバーしやすいという特長があります。
次に有名なのがクレソキシムメチルを有効成分とする「ストロビー」シリーズです。この薬剤は「準蒸散作用(ベーパーアクション)」と呼ばれる独特の性質を持っています。散布された成分がガス化し、葉の表面を覆うことで、直接薬液がかかっていない部分の病原菌も叩くことができるのです。特にうどんこ病や黒星病に対して高い予防効果を発揮し、果樹農家の必需品となっています。
さらに、近年注目されているのがピラクロストロビンを含む薬剤です。BASF社が開発したこの成分は、より強力な結合力を持ち、雨に強いという特性があります。これを含む混合剤として有名なのが「シグナムWDG」や「カブリオ」などです。これらは他の系統(例えばボスカリドなどのSDHI剤)と混合されることで、耐性菌リスクを分散させつつ、より広範囲の病害を同時に防除できるよう設計されています。
また、水稲分野ではメトミノストロビン(オリブライト)やオロサミドといった日本独自の成分も開発されています。これらは日本の多湿な環境やイネいもち病の特性に合わせて最適化されており、水面施用や箱処理剤としても広く普及しています。
以下に、主要なQoI剤の農薬名と有効成分、主な対象病害を表にまとめました。手持ちの農薬が被っていないか確認するために活用してください。
| 商品名(代表例) | 有効成分名(農薬名) | 主な特徴と用途 |
|---|---|---|
| アミスター | アゾキシストロビン | 世界的なベストセラー。浸透移行性が高く、適用作物が非常に多い。 |
| ストロビー | クレソキシムメチル | 準蒸散作用(ガス効果)があり、葉裏の菌にも効果が及びやすい。果樹に強い。 |
| フリント | トリフロキシストロビン | 葉のワックス層に強力に吸着し、耐雨性が高い。残効性に優れる。 |
| シグナム | ピラクロストロビン | 活性が高く、植物の生理機能を高める効果も報告されている。多くは混合剤として流通。 |
| オリブライト | メトミノストロビン | 水稲専用に開発された成分。いもち病や紋枯病に高い効果を示す。 |
| ファンタジスタ | ピリベンカルブ | 新規の構造を持つが、作用機作はQoI剤に分類される。灰色かび病などに有効。 |
これらの薬剤は、名前は違っても「作用する場所」は同じです。したがって、例えば「アミスター」を散布した翌週に「ストロビー」を散布することは、成分が違うから大丈夫だと思いがちですが、防除体系としては「同じ系統を連用した」ことになり、耐性菌発生のリスクを極端に高めてしまいます。必ず「系統名(FRACコード11)」を確認する習慣をつけてください。
参考リンク:殺菌剤耐性菌対策委員会(J-FRAC) - 日本植物防疫協会
※リンク先では、最新の耐性菌発生状況や、系統ごとの詳細なリスク評価を確認できます。
QoI剤という名称は、その作用機作である「Quinone outside Inhibitor(キノン外部阻害剤)」に由来します。これを農家向けにわかりやすく翻訳すると、「病原菌の呼吸を止めて、エネルギー切れで窒息させる」というメカニズムになります。
具体的には、カビ(糸状菌)の細胞内にあるミトコンドリアという器官がターゲットです。ミトコンドリアは、人間で言えば肺と心臓を合わせたような役割を持ち、酸素を使って活動に必要なエネルギー(ATP)を作り出しています。このエネルギー生産工場の中に「電子伝達系」というラインがあり、その中の「複合体III(シトクロムbc1複合体)」という重要な中継地点が存在します。
QoI剤の有効成分は、この複合体IIIの特定部位(Qoサイト)にガッチリと結合してしまいます。すると、電子の流れが物理的にブロックされ、病原菌はエネルギーを作り出すことができなくなります。エネルギーが枯渇した病原菌は、胞子の発芽ができなくなったり、菌糸を伸ばして植物体内に侵入することができなくなったりして、最終的に死滅します。
このメカニズムから、以下の2つの重要な特徴が生まれます。
病原菌がエネルギーを最も必要とするのは、胞子が発芽して植物に侵入しようとする「感染初期」です。QoI剤はこのタイミングで呼吸を阻害するため、発芽そのものを阻止する強力な予防効果を発揮します。逆に、すでに植物体内に深く侵入し、組織内で安定してしまった菌に対しては、効果がやや劣る場合があります。これが「ストロビルリン系は予防主体」と言われる理由です。
ミトコンドリアによる呼吸は、ほとんどの真菌類(カビ)に共通する基本的な生命活動です。そのため、QoI剤は「べと病」「疫病」(卵菌類)から、「うどんこ病」「炭疽病」(子のう菌類)、「さび病」(担子菌類)に至るまで、分類学的に全く異なる病原菌に対して同時に効果を発揮します。一つの薬剤で多くの病気を一度に防げるこの「同時防除能力」こそが、QoI剤が現場で重宝される最大の理由です。
しかし、この「ピンポイントで呼吸酵素の一箇所をブロックする」という切れ味の鋭さが、諸刃の剣となって耐性菌の問題を引き起こします。作用点が一点しかないため、病原菌側の遺伝子がほんの少し変異するだけで、薬剤が結合できなくなり、全く効かなくなってしまうのです。
参考リンク:FRAC(殺菌剤耐性菌対策委員会)コード表
※リンク先では、作用機作ごとのFRACコード分類図解があり、どの薬剤がどこに作用するかが視覚的に理解できます。
QoI剤(ストロビルリン系)を使用する上で、避けて通れないのが「耐性菌」の問題です。この系統は、殺菌剤の中でも最も耐性菌が発生しやすい「ハイリスク剤」に分類されています。実際、日本国内でもキュウリのうどんこ病やべと病、イチゴの炭疽病、イネのいもち病などで、QoI剤が効かない耐性菌がすでに広範囲で確認されています。
耐性化の主な原因は、病原菌のミトコンドリア遺伝子に起こる「点変異」です。具体的には、シトクロムb遺伝子の143番目のアミノ酸がグリシンからアラニンに置き換わる「G143A変異」と呼ばれる現象が有名です。たった一箇所の塩基配列が変わるだけで、QoI剤はターゲット部位に結合できなくなり、殺菌効果がほぼ完全に失われてしまいます。
この耐性菌問題の恐ろしい点は、「クロス耐性(交差耐性)」です。
例えば、アミスター(アゾキシストロビン)を連用して耐性菌が発生してしまったとします。「じゃあ、次は成分を変えてストロビーを使おう」と考えても、それは無駄です。QoI剤の耐性菌は、同じFRACコード11に属するすべての薬剤に対して同時に耐性を獲得してしまうことがほとんどです。つまり、一つのQoI剤をつぶしてしまうと、その畑ではストロビルリン系薬剤すべてが使えなくなる可能性があるのです。
こうした事態を防ぐために、以下の「耐性菌対策3ヶ条」を徹底してください。
メーカーのラベルには「使用回数3回以内」などと書かれていますが、これはあくまで法律上の残留農薬基準を守るための上限です。耐性菌管理の視点からは、QoI剤の使用は1作型につき1回、多くても2回までに抑えるのが鉄則です。特に施設栽培のような閉鎖環境では、菌の世代交代が早いため、より厳密な制限が必要です。
QoI剤を使った次は、必ず作用機作の異なる薬剤を使用してください。例えば、DMI剤(FRACコード3)、SDHI剤(FRACコード7)、有機銅剤(FRACコードM1)、重曹剤などを挟むことで、生き残った耐性菌を他の手段で叩くことができます。
病気が蔓延してからQoI剤を散布すると、大量の病原菌の中に確率的に存在する耐性菌だけが生き残り、爆発的に増殖する「淘汰圧」をかけてしまいます。QoI剤は、病気が発生する前、あるいは発生のごく初期に予防的に使用することで、耐性菌のリスクを最小限に抑えることができます。「困った時の切り札」として温存しすぎず、防除暦の要所(感染好適期の前)に組み込むのがプロの使いこなし術です。
参考リンク:農研機構 - 殺菌剤耐性イネいもち病菌対策マニュアル
※リンク先では、いもち病におけるQoI剤耐性の発生メカニズムと、具体的な防除体系のシミュレーション結果が詳細に解説されています。
前述の通り、QoI剤の単用連用は耐性菌リスクを高めます。そこで、近年主流になっているのが、最初から異なる系統の殺菌剤を組み合わせた「混合剤」の活用です。混合剤を選ぶことは、単に手間を省くだけでなく、耐性菌マネジメントの観点から非常に理にかなった戦略です。
QoI剤との組み合わせで最も一般的なパートナーは、SDHI剤(コハク酸脱水素酵素阻害剤)やDMI剤(ステロール生合成阻害剤)です。
例えば、以下のような組み合わせの混合剤が市販されています。
混合剤を選ぶ際の注意点:
「混合剤だから大丈夫」と盲信するのは危険です。混合相手の成分に対しても耐性菌が発生している可能性があるからです。例えば、DMI剤耐性のうどんこ病菌と、QoI剤耐性のうどんこ病菌が同時に存在する圃場では、DMI+QoIの混合剤を散布しても効果は期待できません。
また、混合剤を使用した場合、その成分の系統の使用回数としてカウントされることにも注意が必要です。
例えば、「アミスターオプティ」を1回散布したら、それは「QoI剤を1回」「TPN剤を1回」使ったことになります。その後に単剤のアミスターを使えば、QoI剤の連用になってしまいます。
防除日誌をつける際は、商品名だけでなく、必ず有効成分の系統(FRACコード)を書き出し、同じ数字が続いていないかをチェックする習慣をつけましょう。賢い農家は、商品名の裏にある「コード」を見て農薬を選んでいます。
最後に、QoI剤の農薬名や殺菌効果のカタログスペックにはあまり書かれていない、しかし現場では周知の事実となっている「生理学的効果(通称:グリーン効果)」について解説します。これが、QoI剤が単なる「カビ殺し」以上の価値を持つ理由であり、同時に注意が必要な点でもあります。
QoI剤、特にストロビルリン系薬剤を散布すると、病気が治るだけでなく、作物の葉が濃い緑色になり、ツヤが良くなり、老化が遅れるという現象が頻繁に観察されます。これを「グリーン効果(Green Effect)」と呼びます。
このメカニズムは、単に病気がなくなって元気になったから、というだけではありません。QoI剤の成分自体が植物のホルモンバランスに作用し、以下のような働きをすることが研究で明らかになっています。
例えば、小麦や大豆の栽培において、病気の発生が少ない年でもQoI剤を散布した区画の方が、最終的な収量が増加したというデータが世界中で報告されています。このため、海外では「収量増加剤(Yield Booster)」としての側面を強調して販売されることもあります。
しかし、この「いつまでも青々としている」ことには落とし穴もあります。
収穫期になっても葉や茎が青いままだと、水分の抜けが悪くなり、乾燥に時間がかかったり、「青立ち」と呼ばれる現象を引き起こしてコンバインでの収穫作業に支障を来したりすることがあるのです。
また、見た目が健康に見えるため、内部での病気の進行や、過度な窒素過多などの生理障害を見逃してしまうリスクもあります。
「QoI剤をかけると作物が若返る」というのは魅力的な響きですが、あくまで本来の目的は病害防除です。「葉色を良くしたいから」という理由だけで安易にQoI剤を使用することは、無駄なコストになるだけでなく、前述した耐性菌リスクを不必要に高める行為です。
グリーン効果はあくまで「副次的なボーナス」として捉え、適切な時期に、適切な病害リスクに対して使用することが、長くこの優れた薬剤の恩恵を受けるための秘訣です。
参考リンク:理研グリーン - フルオキサストロビンのザイレムプロテクノロジー
※芝生管理の分野などでは、この生理活性効果や浸透移行性が特に詳細に研究され、製品特性として活かされています。
default_api:search_web{queries: