1999年(平成11年)に制定された「持続性の高い農業生産方式の導入の促進に関する法律」(通称:持続農業法)は、2022年(令和4年)7月1日をもって廃止されました。この廃止は、単なる制度の終了ではなく、より強力で広範囲な新しい法律である「環境と調和のとれた食料システムの確立のための環境負荷低減事業活動の促進等に関する法律」(通称:みどりの食料システム法)への移行および統合が主な理由です。
従来の持続農業法は、主に「たい肥等を使った土づくり」「化学肥料の低減」「化学農薬の低減」という3つの技術を一体的に行う農業者を「エコファーマー」として認定・支援する仕組みでした。しかし、近年の気候変動問題や国際的なSDGs(持続可能な開発目標)への対応が求められる中で、単にほ場レベルでの化学物質削減だけでは不十分となってきました。
そこで、政府は2050年までに農林水産業のCO2ゼロエミッション化を目指す「みどりの食料システム戦略」を策定しました。この戦略を実現するためには、生産現場だけでなく、資材の調達から流通、消費に至るまでのフードサプライチェーン全体での環境負荷低減が必要です。そのため、持続農業法を発展的に解消し、生産者だけでなく食品事業者や機械メーカーなども巻き込んだ包括的な新法へと移行する必要があったのです。
新法では、これまでの土づくりや化学肥料・農薬の削減に加え、温室効果ガスの削減や生物多様性の保全、プラスチックごみの削減といった多様な環境対策が「環境負荷低減事業活動」として位置づけられています。つまり、持続農業法の廃止は、日本の農業が「部分的な環境保全」から「食料システム全体の持続可能性」へと大きく舵を切るための必然的なステップだったと言えます。
農林水産業・食品産業の環境負荷低減を目指す「みどりの食料システム法」の全体像と概要
※上記リンクには、新法の目的や認定制度の仕組み、旧法からの移行に関する詳細な行政情報が記載されています。
持続農業法の廃止に伴い、多くの農業者が懸念しているのが「エコファーマー」という名称や認定制度の扱いです。結論から言えば、法的な裏付けとしての旧来の「エコファーマー認定制度」は終了し、2022年7月以降、新規の認定申請はできなくなりました。
しかし、現在すでに認定を受けている農業者については、その認定計画の有効期間満了日までは、法廃止後もなお「エコファーマー」としての地位が保全される経過措置がとられています。つまり、すぐに名乗れなくなるわけではありませんが、期間が切れた時点で旧法に基づく資格は失効します。
今後は、みどりの食料システム法に基づく新しい認定制度(通称:みどり認定)を取得することが推奨されています。新制度への移行をスムーズにするため、一部の自治体では柔軟な対応をとっています。例えば、福島県や茨城県のように、新法の認定を受けた農業者に対して、引き続き「エコファーマー」の名称やマークの使用を認める独自の運用を行っている地域もあります。これは、「エコファーマー」というブランドが長年にわたり消費者や市場に浸透しており、急に名称を変えることで販売面での混乱を招くリスクを避けるためです。
このように、制度としての土台は変わりましたが、環境に配慮した農業を行う生産者を評価するという本質は変わっていません。むしろ、新制度では認定を受けることで、旧制度にはなかった税制優遇などの強力なメリットが用意されています。
福島県における持続農業法廃止後のエコファーマー名称使用に関する独自運用ルール
※上記リンクには、新法認定者が引き続きエコファーマーマークを使用するための具体的な条件や手続きが解説されています。
持続農業法に代わって施行された「みどりの食料システム法」では、認定の対象となる活動が大幅に拡充されました。旧法では「土づくり+化学肥料低減+化学農薬低減」の3点セットが必須でしたが、新法ではより柔軟なメニューから選択できる「環境負荷低減事業活動」が定義されています。
具体的には、以下の3つの区分が設けられています。
農業者は、これらの活動の中から自らの経営スタイルや地域の課題に合わせて計画を作成し、都道府県知事の認定を受けます。この認定を受けると、「みどり認定農業者」として、設備投資にかかる税制特例(機械の取得価額の初年度特別償却など)や、日本政策金融公庫による低利融資(無利子化措置など)といった手厚い支援を受けられるようになります。
| 項目 | 旧:持続農業法 | 新:みどりの食料システム法 |
|---|---|---|
| 必須要件 | 土づくり+化学肥料減+化学農薬減 | メニューから選択可能(土づくり等は必須ではない場合も) |
| 対象範囲 | ほ場での生産活動のみ | 生産、加工、流通、資材製造まで含む |
| 主な支援 | 資金の償還期間延長など | 税制優遇(特別償却)、補助金の優先採択 |
このように、新法では「やらなければならないこと」の選択肢が増えただけでなく、経営上の実利となる「税制メリット」が強化された点が、生産者にとっての大きな変更点です。
静岡市におけるみどり認定制度の概要と具体的な税制・融資メリットの解説
※上記リンクには、認定を受けることで得られる税制優遇や補助金加点の具体的な内容が分かりやすくまとめられています。
持続農業法と、現在のみどりの食料システム戦略(および新法)では、化学肥料や農薬の削減に対するアプローチに質的な違いがあります。
旧来の持続農業法では、「地域の慣行レベルと比較して低減すること」が求められていましたが、その削減目標はあくまで「導入計画」ベースであり、技術的な積み上げが中心でした。一方、みどり戦略では、2050年までに「化学農薬の使用量をリスク換算で50%低減」「化学肥料の使用量を30%低減」という、国全体としての明確な数値目標(KPI)が掲げられています。これは非常に高いハードルであり、従来のような「少し減らす」程度の改善では達成困難です。
そのため、新法下の認定制度では、単に減らすだけでなく、イノベーション(新技術)の導入が強く推奨されています。
例えば。
持続農業法時代は「農家の努力」に依存していた部分が大きかったのに対し、新法では「技術革新」と「資材の見直し」をセットで進めることが前提となっています。また、化学肥料の削減は、原料価格の高騰対策という経済安全保障の側面も強くなっており、単なる環境活動以上に「経営の防衛策」としての意味合いが強調されているのも特徴です。
さらに、新法では「有機農業」の拡大(2050年までに耕地面積の25%へ)が柱の一つになっています。これまでのエコファーマーは「減農薬・減化学肥料」が中心でしたが、今後はその先にある「有機農業」へのステップアップとしての役割も期待されています。
全国の自治体におけるみどりの食料システム法基本計画と化学肥料削減等の数値目標
※上記リンクには、各都道府県が設定した具体的な削減目標や有機農業の導入面積目標などのデータが網羅されています。
持続農業法の廃止と新制度への移行は、理念としては素晴らしいものですが、小規模な農業現場にとっては新たな負担や課題も浮き彫りにしています。
まず、もっとも大きな課題は「事務手続きの煩雑化」です。旧エコファーマー認定も書類作成の手間はありましたが、長年の運用で定型化されていました。しかし、みどり認定(環境負荷低減事業活動実施計画の認定)は、記載項目が多岐にわたり、特に「温室効果ガスの削減効果」などを意識した計画策定は、高齢化した小規模農家にとってはハードルが高いのが実情です。
また、新制度の目玉である「税制優遇(機械の特別償却)」は、数百万〜数千万円規模のスマート農機や環境対応設備を「新規に購入できる」体力のある大規模農家や法人には大きな恩恵があります。しかし、既存の機械を使い続けながら地道に環境保全を行っている小規模農家にとっては、直接的な金銭メリットを感じにくい構造になっています。
さらに、一部の現場では「エコファーマーマーク」のシールを貼ることで付加価値をつけて販売していた農産物のブランディングをどう再構築するかという悩みも聞かれます。自治体によっては旧マークの使用を認めていますが、全国統一の基準ではなくなったため、流通業者や消費者に対して「このマークは何?」という混乱を招く可能性もあります。
行政側もこの負担を軽減するために、申請書類の簡素化や、JAなどの指導機関による代理申請サポートを強化していますが、現場の隅々まで新制度の意義とメリットが浸透するには、まだ時間がかかると考えられます。
農政改革と現場の混乱に関するレポート:制度変更がもたらす実務的な負担感
※上記リンクには、農政の変更が現場や役所の窓口にどのような疲弊や混乱をもたらしたか、リアルな視点での検証が記されています。