豊作貧乏(ほうさくびんぼう)とは、農作物が豊作となり供給量が増えたにもかかわらず、市場価格が暴落することで、かえって農家の総収入が減少してしまう経済現象を指します。この現象は一見すると直感に反するように思えますが、経済学の基本である「需要と供給のグラフ」を用いることで論理的に説明がつきます。
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まず、需要曲線(Demand Curve)について理解する必要があります。需要曲線は、ある商品の価格と消費者が購入したいと思う数量の関係を表したグラフで、通常は右下がりの曲線を描きます。価格が高ければ需要量は減り、価格が安ければ需要量は増えるという一般的な消費者の行動を示しています。
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しかし、農産物の場合、この需要曲線の傾きが非常に急であることが特徴です。これは、農作物が生活必需品であり、価格が少し下がったからといって急激に消費量が増えるわけではないためです。例えば、キャベツが半額になったからといって、家庭での消費量が2倍になることは稀です。逆に、価格が上がっても食べる量を極端に減らすことが難しいため、需要量は価格変動に対してあまり敏感に反応しません。このように、価格の変化に対して需要量がどれだけ変化するかを示す指標を「需要の価格弾力性」と呼びますが、農産物はこの弾力性が低い(非弾力的である)代表的な商品と言えます。
参考)https://home.hiroshima-u.ac.jp/okochi/Bmicro/Nmic04.pdf
豊作貧乏が発生する際、グラフ上では以下のような動きが見られます。まず、通常の収穫量における供給曲線と需要曲線の交点(市場均衡点)で価格が決まっています。ここで豊作になると、同じ価格でも供給できる量が増えるため、供給曲線全体が右側へ大きくシフトします。供給曲線が右に移動すると、需要曲線との新たな交点は、以前よりも右下の位置になります。
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農産物の需要曲線は急勾配(垂直に近い)であるため、供給曲線が少し右に動いただけで、均衡点は価格軸に沿って大幅に下落します。つまり、数量(販売量)の増加分よりも、価格の下落率の方が圧倒的に大きくなってしまうのです。これが、豊作によって農産物の単価が暴落する基本的なメカニズムです。
なぜ「豊作」が「貧乏」に直結するのか、農家の利益(売上高)の観点からさらに深掘りします。農家の売上高は「価格 × 販売数量」で計算されます。グラフ上では、価格を縦軸、数量を横軸としたときに形成される長方形の面積が、農家の総収入(売上)に相当します。
参考)http://arugakentaka.web.fc2.com/resecon/report_answer1.pdf
通常の状態(豊作前)では、ある程度の価格と数量で構成された長方形の面積(利益)が確保されています。しかし、豊作となり供給量が増加すると、前述の通り価格は急激に下落します。このとき、新しく形成される長方形(豊作後の売上)の面積を考えてみましょう。
販売数量(横の長さ)は確かに増えています。しかし、価格(縦の長さ)がそれ以上に短くなってしまっています。農産物は需要の価格弾力性が1より小さいため、供給量が10%増えたとしても、価格を維持してすべて売り切るためには価格を10%以上、時には30%や50%も下げなければ需要が追いつきません。結果として、「増えた数量分によるプラスの売上」よりも「価格下落によるマイナスの売上」の方が大きくなり、トータルの長方形の面積(総収入)は豊作前よりも小さくなってしまいます。これが農家の利益が減少する直接的な原因です。
さらに、農家には収穫や出荷にかかるコスト(変動費)も存在します。豊作で収穫量が増えれば、その分だけ収穫作業の手間や出荷用の段ボール代、輸送費などの経費は増加します。売上が下がっているにもかかわらず、経費は逆に増えてしまうため、手元に残る純利益はさらに圧迫されます。最悪の場合、出荷すればするほど赤字になるため、せっかく育てた作物を畑で廃棄せざるを得ない「出荷調整」や「産地廃棄」という悲痛な決断に至ることも少なくありません。
参考)https://cgu.repo.nii.ac.jp/record/455/files/144-09.pdf
この現象は、個々の農家が努力して生産性を上げ、収穫量を増やそうとする行動が、市場全体で見ると価格暴落を招き、全員が損をしてしまうという「合成の誤謬(ごびゅう)」の典型例としても知られています。
豊作貧乏を深く理解するためには、価格弾力性と供給曲線の性質について、より専門的な視点が必要です。
まず供給曲線についてですが、農産物の短期的な供給曲線は、工業製品とは異なり、垂直に近い形になることがあります。これは、農作物は一度作付けをしてしまうと、市場価格を見てから急に生産量を減らしたり増やしたりすることが難しいためです。天候によって豊作になってしまった場合、その供給量は市場価格に関わらず「すでにそこにあるもの」として固定されてしまいます。
この「垂直に近い供給曲線」が、天候不順や好天によって左右にシフトすることが、価格乱高下の主な要因です。工業製品であれば、価格が下がれば生産調整を行い(供給曲線を左に戻し)、価格を維持することが可能です。しかし、農業では「育ってしまったもの」を市場に出さない(廃棄する)以外に供給量を減らす手段がなく、この調整には心理的・社会的コストも伴います。
一方、需要の価格弾力性についてもう少し詳しく見ると、野菜の種類によっても弾力性は異なります。例えば、モヤシやカイワレ大根のような工場生産的な野菜や、特定のブランド野菜、嗜好品に近い果物などは、価格弾力性が比較的高い場合があります。これらは価格が下がれば「お得だから買おう」という心理が働きやすく、豊作貧乏になりにくい側面があります。しかし、キャベツ、大根、白菜といった重量野菜や基礎的な食材は、家庭での消費量に限界があり、代替も利きにくいため、弾力性が極めて低くなります。
参考)豊作貧乏という現象は、需要の価格弾力性が高い財(農産物)に生…
グラフ上で言えば、需要曲線が急であればあるほど(弾力性が低いほど)、供給曲線の右シフト(豊作)による均衡価格の落下幅は大きくなります。逆に、需要曲線が緩やかであれば(弾力性が高い場合)、供給が増えても価格はそれほど下がらず、数量増の恩恵を受けて収入が増える「豊作富豪」になる可能性もあります。
したがって、豊作貧乏のリスクは「何を作っているか」によっても異なります。農家が経営を安定させるためには、自身の生産物がどのような需要曲線の性質を持っているかを知ることが重要です。
では、この構造的な問題である豊作貧乏に対して、どのような対策が講じられているのでしょうか。既存の対策は主に「市場からの隔離」と「価格変動リスクの回避」に大別されます。
最も古典的かつ即効性のある対策は、出荷調整(市場隔離)です。市場に出回る量を意図的に減らすことで、供給曲線を人工的に左へシフトさせ、価格の暴落を防ぎます。具体的には、農協(JA)などが主導して、豊作時には一定割合の野菜を廃棄処分したり、家畜の飼料に回したりします。これには国や自治体からの助成金(野菜価格安定制度など)が使われることもあり、次期作への資金を確保するためのセーフティネットとして機能しています。
参考)事例分析:農産物市場における価格決定
次に、契約栽培という手法があります。これは、作付け前に食品メーカーや外食産業、スーパーなどと「決まった価格」で「全量(または一定量)」を取引する契約を結ぶものです。契約栽培であれば、市場価格が暴落しても契約価格で買い取ってもらえるため、農家の収入は安定します。買い手にとっても、価格高騰時に安く仕入れられるメリットがあり、双方にリスクヘッジの効果があります。特にカゴメのような加工用トマトの事例は有名で、全量買取契約によって農家は相場変動を気にせず生産に集中できます。
参考)安定収入を支えるカゴメの契約栽培とは。生産者と共に目指す、国…
また、収入保険制度への加入も有効な対策です。これは、自然災害や価格低下によって収入が減少した場合に、その減収分の一部を補填する保険です。青色申告を行っている農業者が加入でき、品目の限定なく総合的に収入減少をカバーできるため、豊作貧乏によるダメージを緩和する現代的なセーフティネットとなっています。
さらに、消費者へのアプローチとして「消費拡大キャンペーン」も行われますが、前述の通り需要の価格弾力性が低いため、短期的には大きな効果を得にくいのが現実です。しかし、レシピ提案や「訳あり品」として安価に提供することで、少しでも需要曲線を右にシフトさせようとする努力は常に続けられています。
検索上位にはあまり出てこない独自視点として、6次産業化と最新の保存技術による「供給タイミングの分散」や「商品価値の転換」という攻めの対策に注目します。
従来の対策は「捨てる」か「補填する」という守りの姿勢が強かったのに対し、6次産業化は豊作で余った作物を「加工品」に変えることで、需要の価格弾力性が異なる市場へ商品を投入する戦略です。例えば、生食用のイチゴが余った場合、そのまま売れば暴落しますが、ジャムやドライフルーツ、アイスクリームの原料として加工すれば、賞味期限が大幅に延びます。これにより、供給曲線の時間軸をずらすことが可能になります。加工品は生鮮品に比べて保存がきくため、市場価格が安い時期に無理に売る必要がなくなり、価格が回復してから、あるいは付加価値をつけて高く売ることができます。
参考)https://www.semanticscholar.org/paper/2525db0c82512184711de0c4362ddf2f460ec343
これは経済学的に言えば、「代替財」を作り出すことで、別の需要曲線を持つ市場へアクセスする行為です。加工品は生鮮野菜よりも嗜好性が高く、ブランド化しやすいため、価格弾力性も高くなる傾向があります。
また、最新の保存技術も豊作貧乏の強力な解決策になりつつあります。例えば、「過冷却保存技術」や特殊な冷蔵技術を用いることで、野菜や果物の鮮度を数ヶ月単位で維持することが可能になっています。収穫時期には供給過剰で価格が暴落していても、この技術を使って数ヶ月保存し、端境期(はざかいき:収穫が少なく価格が高い時期)に出荷すれば、高値で売ることができます。これは、時間的な供給の平準化を行うことで、実質的にピーク時の供給曲線を左にシフトさせ、価格の安定化を図るイノベーションです。
参考)野菜や果物の鮮度を大幅に伸ばす独自の冷蔵技術で食品ロスの削減…
さらに、急速冷凍技術を使って「冷凍野菜」として商品化することも有効です。冷凍野菜市場は、共働き世帯の増加や簡便化志向により需要が拡大しており、生鮮野菜とは異なる安定した需要を持っています。豊作時の安価な原料を使って冷凍野菜を製造しておくことは、コスト競争力のある商品を作るチャンスにも変わり、豊作を「貧乏」ではなく「ビジネスチャンス」に変える逆転の発想と言えます。
参考)野菜を急速冷凍して有効活用!農家に勧める収入アップ術 - 急…
このように、単に市場の波に翻弄されるのではなく、加工やテクノロジーを駆使して「商品を売る場所(市場)」や「売る時間」を自らコントロールすることが、これからの農家が豊作貧乏を脱却するための鍵となるでしょう。